2021年8月31日火曜日

真玉橋 (MADANBASHI)

"MADANBASHI Tomigusuku" Bus stop

 豊見城市字真玉橋のバス停留所です。

 「真玉橋」の停留所は那覇市国場にもあるので、ご利用の際はご注意ください。



MADANBASHI Tomigusuku 1


 バス停留所は国道329号線・那覇東バイパス沿い(地図)にあります。

 こちらのバス停留所には那覇おもろまち線(6番)と豊見城市内一周線(105番)が停まりますが、道路の反対側にあるバス停留所には豊見城市内一周線しか停まりません。





 国場川を境に左は那覇市、右は豊見城市です。

 川に架かっている橋が真玉橋です。






Ryugu

竜宮神(リューグシン)
 昭和初期の頃、真玉橋の下流側の中の橋の欄干下にあった拝所で、海の神に感謝し航海安全、健康、繁栄を願い漫湖に向かって祈願したという。
豊見城市史より






 真玉橋遺構です。

真玉橋
 真玉橋は、1522年に首里と島尻地方を結ぶ交通の要として築かれました。 その橋は木造の五連橋で、中央を真玉橋といい、南側が世持橋、北側が世寄橋、両端は名前のない橋でした。 1707年に石橋への改築工事が開始され、翌年完成しました。 その後、1837年に世寄橋を改築し、その北側へ新たに世済橋を築き六連の石橋になりました。
 真玉橋は、大きく美しい曲線をもつアーチを連ね、水流から橋を守るために脚部にはスーチリー(潮切り)を設けるなど、構造的にも景観的にも沖縄独特の石造文化を代表する橋でしたが、1945年の沖縄戦で破壊されました。
 1996年には、戦後つくられた橋の改修工事に伴う発掘調査によって戦前の真玉橋が豊見城市側と那覇市側の双方でみつかりました。 戦後、半世紀を経て再び風格のある姿を現した「真玉橋」を後世のために保存活用を図るように住民運動が展開され、その結果、豊見城市側では道路下に一部埋め戻し保存を行い比較的状態の良いアーチ部分を移築保存しています。
案内板より

 上の説明からすると、上の写真は真玉橋? 世持橋?


 

 真玉橋と言えば七色元結(なないろムーティー)の話が有名です。

真玉橋由来記
 平良良勝作の戯曲。 1935年ごろ初演。 人柱で有名な真玉橋の架橋由来伝説を、同様に人柱伝説に取材したヤマト芝居「長良川」にヒントを得て構成、大当たりをとった。 その内容から俗に「七色元結」ともいう。 伝説は「島尻郡誌」にも記載されているが、実際には人柱をたてた事実はない。
 芝居の内容は、架橋は難工事でなかなかはかどらなかった。 そんなとき一人のユタ(巫女)が、子年生まれで髪を七元結いにしている者を人柱にたてたら工事は成功するという託宣を告げる。 役人はそんな女性を探すがみつからない。 ところが当のユタ自身が条件に該当したので、そのユタを人柱にたてた。
省略
沖縄大百科事典 沖縄タイムス社より

 まさか昭和初期の戯曲だったとは…。

 ちなみに国頭村謝敷には、そのユタの娘の話が伝わっています。


謝敷 (JYASHIKI)
JYASHIKI






 橋のすぐそばにある橋の神。

 旧暦の一日、十五日に真玉橋の人たちが拝む。 ハーリーをやる前にも拝む。




 こちらは真玉橋公民館。





 公民館内にある重修真玉橋碑。
 
重修真玉橋碑文
 尚真王代の1522年に國場川に架けられた真玉橋(木橋)を石橋に改修した記念の碑文。 1708年と1837年の二次の改修のことが一つの碑に記されている。 おそらく1837年の改修のときに1708年の銘文もいっしょにして書き改め、新建したものであろう。 橋は沖縄随一の名橋であったが、碑文とともに戦災を受け破壊された。
沖縄大百科事典 沖縄タイムス社より






 ムラの中央付近で、東を向いて鎮座しております。

アガリヌシーサー
 那覇市国場の標高47.3mのカラヤームイ(瓦屋森)への風難を防ぐため村の守り神として置かれたといわれる。
豊見城市史より 





 バイパス近くでガーナー森に睨みをきかせております。

字真玉橋のシーサー(石獅子)
 集落に置かれるシーサー(石獅子)は、ムラの守り神として、外から入ってくる様々な邪気をはね返すために据えられ、その災厄をもたらすとされる対象【山丘や森、ガマ(洞窟)など】に向けられていることが多い。 字真玉橋には、2体のシーサーが集落の別々の場所に置かれている。
 このシーサーは、地元では「イリヌシーサー」と呼ばれ、集落西側に位置し、かつては漫湖に浮かんでいたガーナー森に向けて立てられたのだという。
省略
 もう1体のシーサーは「アガリヌシーサー」と呼ばれ、集落のほぼ中心部、生活道の脇に置かれている。 このシーサーは、國場川を隔てた対岸の高台・カラヤームイ(または瓦屋原:那覇市国場)に向け置かれたものと伝えられ、一説には、カラヤームイからの風難を防ぐための守りであるとの由来が残されているが、こんにちカラヤームイの位置する北側ではなく、東側を向いていることについてはよく分かっていない。
省略
案内板より

 アガリヌシーサーの説明が案内板と豊見城市史では少し違っています。

 上記の説明で省略しているところは「ガーナー森」の記述ですが、「奥武山公園駅前バス停留所」の方で説明してあるので、興味のある方はそちらをご覧ください。


次のバス停留所は…
(画像をクリックすると移動します)

樋川 (HIGAWA)
HIGAWA



豊見城高校前 (TOMISHIRO KOKO MAE)
TOMISHIRO KOKO MAE



嘉数東 (KAKAZU HIGASHI)
KAKAZU HIGASHI

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