那覇市の国場と古波蔵の境目にある「真玉橋」のバス停留所です。
「真玉橋」のバス停留所は豊見城市にもあるので、ご利用の際はご確認ください。
国道507号線の古波蔵大通り沿いにバス停留所(地図)はあります。
「真玉橋」のバス停留所は国道329号線の那覇東バイパス沿いにもありますので、ご利用の際はお気を付けください。
ここに戦前は軽便鉄道の線路がありました。 線路はこの道の途中から左に折れて、家畜衛生試験場の後ろの辺りを通るように敷かれていました。
どちらか分からないので、調べてみます。
赤十字病院が写っていますが、今はもうありません。
このページは撮影時期が異なる写真を貼っています。 悪しからずご了承ください。
真玉橋遺構です。 豊見城市側にもあります。
真玉橋遺構
真玉橋は、1522年、王都であった首里と島尻地方を結ぶ主要道路に、初めて木造の橋として築かれました。
1707年から石橋への架け替え工事が行われ、翌年に完成。 1809年に一部が大雨で壊れ、1836年、大規模な改修工事を行いました。
真玉橋は、大きく美しい曲線の5つのアーチが連なり、脚部には、川の流れによる水圧を弱めるためにスーチリ(潮切り)が設けられ、構造的にも景観的にも、沖縄独特の石造文化を誇る橋でしたが、1945年、太平洋戦争末期の沖縄戦で破壊されてしまいました。
1996年、戦後につくられた橋の改修工事に伴う発掘調査によって、戦前の真玉橋が現れ、那覇市側・豊見城市側の双方にその遺構を移築保存しています。
案内板より
今の真玉橋。
先代の真玉橋は、片側一車線のコンクリート橋でした。
橋のチビーチンジュ井戸(地図)。
中国からの来住者渡嘉敷三良は国場村に居住し、真玉橋北詰の東(小字瓦屋原)に陶舎を造り、琉球において初めて瓦器を製造した。
沖縄県の地名 平凡社より
渡嘉敷三良
沖縄最初の瓦工。 中国人であるが帰化して渡嘉敷三良を名乗る。 中国名は不明。 唐大主ともいう。 中国から琉球に渡り、結婚して一男をもうけた。 国場村に住み、窯を真玉橋村に築いて瓦を焼き国中に広めた。
沖縄大百科事典 沖縄タイムス社より
居住地は同じ国場ですが、作っている所で違う説明になっています。
次のバス停留所は…
(画像をクリックすると移動します)
樋川 (HIGAWA)
古蔵中学校前 (KOKURA CHUGAKKOU-MAE)
真玉橋入口 (MADANBASHI IRIGUCHI)
「真玉橋」は十六世紀から十七世紀にかけて老女の人柱から作られました。
返信削除「樋川」も載せてくださいね。
コメントありがとうございます。
削除次も真玉橋の予定です。七色元結のことを載せる予定なので、宜しければご覧ください。
どう致しまして。
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