2021年8月29日日曜日

真玉橋 (MADANBASHI)

"MADANBASHI" Bus stop

 那覇市の国場と古波蔵の境目にある「真玉橋」のバス停留所です。

 「真玉橋」のバス停留所は豊見城市にもあるので、ご利用の際はご確認ください。



MADANBASHI 1

MADANBASHI 2

 国道507号線の古波蔵大通り沿いにバス停留所(地図)はあります。

 「真玉橋」のバス停留所は国道329号線の那覇東バイパス沿いにもありますので、ご利用の際はお気を付けください。



MADANBASHI 3

MADANBASHI 4

 ここに戦前は軽便鉄道の線路がありました。 線路はこの道の途中から左に折れて、家畜衛生試験場の後ろの辺りを通るように敷かれていました。

 この先に真玉橋駅(地図)があったとグーグルマップに載っていますが、別の本(歩いてみよう!おきなわ軽便鉄道マップ おきなわ散策はんじゃ会編)では真玉橋遺構近く(地図)と載っています。

 どちらか分からないので、調べてみます。



MADANBASHI 5

 赤十字病院が写っていますが、今はもうありません。

 このページは撮影時期が異なる写真を貼っています。 悪しからずご了承ください。



MADANBASHI 7

MADANBASHI 8

MADANBASHI 9

MADANBASHI 10

 真玉橋遺構です。 豊見城市側にもあります。

真玉橋遺構
 真玉橋は、1522年、王都であった首里と島尻地方を結ぶ主要道路に、初めて木造の橋として築かれました。
 1707年から石橋への架け替え工事が行われ、翌年に完成。 1809年に一部が大雨で壊れ、1836年、大規模な改修工事を行いました。
 真玉橋は、大きく美しい曲線の5つのアーチが連なり、脚部には、川の流れによる水圧を弱めるためにスーチリ(潮切り)が設けられ、構造的にも景観的にも、沖縄独特の石造文化を誇る橋でしたが、1945年、太平洋戦争末期の沖縄戦で破壊されてしまいました。
 1996年、戦後につくられた橋の改修工事に伴う発掘調査によって、戦前の真玉橋が現れ、那覇市側・豊見城市側の双方にその遺構を移築保存しています。
案内板より



MADANBASHI 11

 今の真玉橋。

 先代の真玉橋は、片側一車線のコンクリート橋でした。



MADANBASHI 11a

MADANBASHI 11b

MADANBASHI 11c

MADANBASHI 12

MADANBASHI 13

 橋のチビーチンジュ井戸(地図)。



MADANBASHI 14

MADANBASHI 15

 目の前のマンションの辺りが瓦屋原。

 中国からの来住者渡嘉敷三良は国場村に居住し、真玉橋北詰の東(小字瓦屋原)に陶舎を造り、琉球において初めて瓦器を製造した。
沖縄県の地名 平凡社より

渡嘉敷三良
 沖縄最初の瓦工。 中国人であるが帰化して渡嘉敷三良を名乗る。 中国名は不明。 唐大主ともいう。 中国から琉球に渡り、結婚して一男をもうけた。 国場村に住み、窯を真玉橋村に築いて瓦を焼き国中に広めた。
沖縄大百科事典 沖縄タイムス社より
 
 居住地は同じ国場ですが、作っている所で違う説明になっています。 


次のバス停留所は…
(画像をクリックすると移動します)

樋川 (HIGAWA)
HIGAWA



古蔵中学校前 (KOKURA CHUGAKKOU-MAE)
KOKURA CHUGAKKOU-MAE



真玉橋入口 (MADANBASHI IRIGUCHI)
MADANBASHI IRIGUCHI

3 件のコメント:

  1. 「真玉橋」は十六世紀から十七世紀にかけて老女の人柱から作られました。
    「樋川」も載せてくださいね。

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    1. コメントありがとうございます。
      次も真玉橋の予定です。七色元結のことを載せる予定なので、宜しければご覧ください。

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  2. どう致しまして。

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琉大北口 (RYUDAI-KITAGUCHI)

   琉球大学の敷地内にある「琉大北口」のバス停留所です。  こちらは中城村の護佐丸バスの伊集回り線、久場回り線、久場琉大線が停まります。 掲載している情報は公開日時点のものなので、バスなどをご利用される際は関係各所に確認してください。