浦添総合病院西口(地図)です。パイプライン通り沿いにあります。
こちらは、天久新都心線(99番)が停まります。 変更等があるのでバス会社に確認してください。
有名なそば屋さんのすぐ目の前にあります。
追記:2023年12月1日に浦添総合病院の移転に伴い、バス停留所の名称が「伊祖三丁目」へと変更になりました。
後ろに見える大きな建物が、浦添総合病院になります。
クルマが信号待ちしている下り坂は、職場のクレイジーな先輩とドライブをしながらこの道によく通りました。 毎回、僕と無理心中でもするつもりなのかと思うような速度で駆け抜けるので、正直良い思い出はないです。
少しバス停留所からは歩きますが、伊祖公園が近くにあります。
おもろの碑。
(解説)伊祖城は、琉球の歌謡集「おもろそうし」に、「いしぐすく(石城)」・「かなぐすく(金城)」とその堅牢をうたわれた、英祖王統(西暦1260~1349年)5代の居城です。 その王統初代の英祖王は「ゑぞのてだ(英祖の太陽)」とも讃えられ、舜天王統第3代の義本王のあとを襲って1260年に即位、在位40年に及んだと伝えられています。この碑文のおもろは、「ゑぞのいくさもい(英祖王の童名)」が、夏も冬もわかたず、毎月のように酒盛りをするほど、豊かな世を実現した、と賛美したものです。近くの案内文より
公園を進んでいくと伊祖グスクが見えてきました。
浦添八景の一つに選ばれています。
切石積みの上に鳥居が見えます。
グスクに行く際にはスニーカー履きを推奨します。
鳥居を抜けると伊祖神社が見えてくる。
県指定史跡 伊祖城跡伊祖城跡は、伊祖部落の北東方に位置し、東西に延びる標高50m~70mの琉球石灰岩の丘陵上に築かれた城(グスク)である。眼下に沖縄最古の貿易港牧港をはじめ宜野湾、北谷の海岸、読谷の残波岬、南西には慶良間諸島を望む雄大な景観を呈し、要害の地になっている。伝承によると伊祖グスクは英祖王(1229~1299年)の父祖代々の居城といわれ、英祖王もこの城で生まれたという。比較的規模の小さな城であるが、丘陵を取り囲む形で石垣が造られている。石積みは切石積みと野面積みの両積石の技法が用いられ、東北向きの城門付近から本丸跡(現伊祖神社付近)にかけては切石積み、南西側の断崖上の崖縁は野面積みとなっている。伊祖城跡の考古学的な調査はまだ実施されていないが、城内外からはグスク系土器や須恵器、中国陶磁等が採集されている。沖縄県教育委員会 浦添市教育委員会
案内板によるとここは本丸跡地みたいです。
「須恵器」をコトバンクさんで調べたら、古墳時代の後半から日本でつくられた陶質の土器だそうです。
頂上に来ると視界が開けて、遠くは読谷村まで見渡せます。
「第62師団独立歩兵第21大隊3中隊終焉の地」と刻まれた碑。
グスクが築かれるような高地は激戦地になりやすいのかと思いました。
次のバス停留所は…
伊祖二丁目
公民館入口
現在、「伊祖三丁目」になっていますよ。
返信削除コメントありがとうございます。情報ありがとうございます。
削除タイトルを「浦添総合病院西口」から「伊祖三丁目」に変更するのがリンクの調整で難しいため、本文内に追記する対応をしようと思います。
どう致しまして。
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