2013年9月17日火曜日

辺戸 (Hedo)

Hedo Bus Stop

 国頭村辺戸(地図)です。

 こちらは奥線(1008番)が停まります。



Hedo2

追記:こちらには国頭村営バス奥線が停まります。


国頭村営バス (国頭村ホームページ)



Hedo3

 左手が辺戸の部落になります。



Hedo4

  バス停から辺戸岬向けに進んですぐのところに義本王の墓の入口があり、運動不足の僕には応える坂道を上がっていくとそのお墓があります。



Tomb of the king Gihon

  こちらが義本王の墓です。
 義本王は沖縄最初の王統である舜天王統の第三代目国王で、西暦1249年に即位した。
 しかし即位した翌年から大飢饉・天変地異・疫病が起き、これは自分の不徳によるものであると王は次期王統の創始者である英祖を召して国政を代行させたところ、病気もやみ国も治まった。
 義本王は在位11年で英祖に譲位し、その後のことは伝わっていないとされる。
 その他にも、国が乱れたことに怒った群衆が王を火あぶりの刑にしようとしたため逃げたとする説などもあり、実際はどのように権限の委譲がなされたかはわかっていない。 
参考:近くにあった案内看板

 一二〇六年~?。 舜天王統三代目の王と伝わる。 在位は一二四九年~五九年。 即位後、国中に飢饉や疫病が流行り多くの人民が死んだので英祖なる人物に禅譲したという。 その後の消息は不明。 彼の墓と伝えられる古墳が各地にある。
参考:沖縄コンパクト事典(琉球新報社編)

 中国の易姓革命の思想が反映されているので、英祖は中国系の渡来人なのかも?と勝手に想像してみる。 ちなみに英祖は義本王の摂政だった。

 王妃の墓は北中城村喜舎場(地図)にあります。



Hedo river

 こちらは辺戸大川です。水量はかなり少ないですが、とても澄んで綺麗な川です。(カメラの性能が悪いので白いシミにしか見えませんが…)
 年末に開催される「首里城への美御水の奉納祭」で使われる「若水」はここで取水されます。



ASUMOI UTAKI 1

辺戸
 方言ではフィルという。 地名は「遠く離れた海上の道」の意から、「辺の渡」になったものという。
角川日本地名大辞典より



ASUMOI UTAKI 2

ASUMOI UTAKI 3

 安須森御嶽の入口(地図)です。

 ここに来る前に宜名真神社でお詣りしてから参拝するのが礼儀と聞きました。 正直にいうと、この時はしていませんでした。 神様すみません。



ASUMOI UTAKI 4

ASUMOI UTAKI 5

ASUMOI UTAKI 6

 僕は軽い気持ちで来ましたが、かなり道中は険しいのにビックリしました。

 事前にここに来たことのある会社の同僚から話は聞いていたのですが、僕が想像していた以上に大変な難所でした。



ASUMOI UTAKI 7

ASUMOI UTAKI 8

ASUMOI UTAKI 10


ASUMOI UTAKI 11

ASUMOI UTAKI 12

 頂上です。

 御嶽は中腹にある場所がそうで、ここはその御嶽の神様の頭上に登ることになるので失礼になると麓の案内看板に書いてありました。

 ここから降りた時に麓の案内看板を読んで、少し反省しております。



ASUMOI UTAKI 13

 目の前の岩のすぐ下は崖です。

 岩の傍に行くのも嫌なぐらい怖いのに、よく作業が出来たなぁと感激してしまった。



ASUMOI UTAKI 14

 宜名真方面を一望。



ASUMOI UTAKI 15

 辺戸岬方面。

 カメラに写すことは出来なかったのですが、与論島や伊平屋島、伊是名島まで見ることが出来ます。


次のバス停は…
(画像をクリックすると移動します)

琉大山荘入口 (RYUDAISANSOU IRIGUCHI)



辺戸岬入口 (HEDOMISAKI IRIGUCHI)




辺戸岬 (HEDO-MISAKI)
HEDO-MISAKI

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福原 (FUKUHARA)

   南城市大里古堅にある「福原」のバス停留所です。  こちらは、糸満新里線(36番)、南城市のNバス(C1・C2・G)が停まります。 記載されている情報は公開時のものなので、変更などに対応していない場合は情報が違う場合があります。 ご了承ください。