国頭村辺戸(地図)です。
こちらは奥線
追記:こちらには国頭村営バス奥線が停まります。
国頭村営バス (国頭村ホームページ)
左手が辺戸の部落になります。
義本王は沖縄最初の王統である舜天王統の第三代目国王で、西暦1249年に即位した。参考:近くにあった案内看板
しかし即位した翌年から大飢饉・天変地異・疫病が起き、これは自分の不徳によるものであると王は次期王統の創始者である英祖を召して国政を代行させたところ、病気もやみ国も治まった。
義本王は在位11年で英祖に譲位し、その後のことは伝わっていないとされる。
その他にも、国が乱れたことに怒った群衆が王を火あぶりの刑にしようとしたため逃げたとする説などもあり、実際はどのように権限の委譲がなされたかはわかっていない。
一二〇六年~?。 舜天王統三代目の王と伝わる。 在位は一二四九年~五九年。 即位後、国中に飢饉や疫病が流行り多くの人民が死んだので英祖なる人物に禅譲したという。 その後の消息は不明。 彼の墓と伝えられる古墳が各地にある。参考:沖縄コンパクト事典(琉球新報社編)
中国の易姓革命の思想が反映されているので、英祖は中国系の渡来人なのかも?と勝手に想像してみる。 ちなみに英祖は義本王の摂政だった。
王妃の墓は北中城村喜舎場(地図)にあります。
こちらは辺戸大川です。水量はかなり少ないですが、とても澄んで綺麗な川です。(カメラの性能が悪いので白いシミにしか見えませんが…)
年末に開催される「首里城への美御水の奉納祭」で使われる「若水」はここで取水されます。
辺戸
方言ではフィルという。 地名は「遠く離れた海上の道」の意から、「辺の渡」になったものという。
角川日本地名大辞典より
安須森御嶽の入口(地図)です。
ここに来る前に宜名真神社でお詣りしてから参拝するのが礼儀と聞きました。 正直にいうと、この時はしていませんでした。 神様すみません。
僕は軽い気持ちで来ましたが、かなり道中は険しいのにビックリしました。
事前にここに来たことのある会社の同僚から話は聞いていたのですが、僕が想像していた以上に大変な難所でした。
頂上です。
御嶽は中腹にある場所がそうで、ここはその御嶽の神様の頭上に登ることになるので失礼になると麓の案内看板に書いてありました。
ここから降りた時に麓の案内看板を読んで、少し反省しております。
目の前の岩のすぐ下は崖です。
岩の傍に行くのも嫌なぐらい怖いのに、よく作業が出来たなぁと感激してしまった。
宜名真方面を一望。
辺戸岬方面。
カメラに写すことは出来なかったのですが、与論島や伊平屋島、伊是名島まで見ることが出来ます。
次のバス停は…
(画像をクリックすると移動します)
琉大山荘入口 (RYUDAISANSOU IRIGUCHI)
辺戸岬入口 (HEDOMISAKI IRIGUCHI)
辺戸岬 (HEDO-MISAKI)
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