那覇市泉崎にある「バスターミナル前」のバス停留所です。
那覇バス7路線、沖縄バス5路線、琉球バス1路線の計13路線のバスが停まり、国場線(12番)だけが始発となっています。
那覇バスターミナルの裏手、県道39号線沿いにバス停留所(地図)はあります。
この先に行くと国際通り。
面影が全然残ってはいませんが、ここは溜池の跡地でした。
仲島小堀跡(ナカシマグムイアト)
泉崎村(いずみざきむら)にあった人工の溜(た)め池跡。
かつて泉崎村の地先一帯は、久茂地川が漫湖に合流する河口で、土砂が堆積した中州は「仲島(なかしま)」と呼ばれ、その後の埋立により陸続きとなった地域である。
河口の水が湾入していた所は、17世紀中頃、泉崎村在住の唐人(とうじん)の薦めにより、火難封じの風水として、土俵をもって潮入口を塞ぎ、溜め池(小堀(クムイ))とした。小堀は、王国時代から養魚場として使われ、後に泉崎村の管理地となり、池から上がる収入で小堀の浚渫費に充てたという(『南島風土記(なんとうふどき)』)。
仲島小堀では、その後も鯉や鮒が養殖されていたが、昭和初期には埋め立てられ、1937年(昭和12)、埋立地に済生会(さいせいかい)病院が建設された。
一方、仲島には、1672年に「辻」(現那覇市辻一帯)とともに花街(はなまち)が開かれた。歌人として有名な「よしや」(吉屋チルー)は、この仲島で生涯を閉じたとされる。泉崎村から仲島へは小矼(こばし)(仲島小矼)が架けられており、花街への出入り口であった。仲島は、1908年(明治41)に辻に統合・廃止され、小矼も埋立・道路拡張により消失した。
花街廃止後、埋立により住宅地として発展した泉崎は、沖縄戦後の区画整理により、往時の街並みとは異なった住宅地となった。
左手に見えているのが那覇バスターミナル。 写真中央に写っているのが仲島の大石です。
次のバス停留所は…
旭町
旭橋駅前
県庁北口
県庁前 (KENCHO-MAE)
那覇バスターミナル (NAHA Bus Terminal)
上泉 (KAMIIZUMI)
次も更新してください。「上泉」、「県庁北口」、「牧志」も載せてください。
返信削除コメントありがとうございます。
削除ご期待に沿えるよう頑張りますが、もう少しお時間ください。
(バイク修理中のため)
分かりました。どう致しまして。
返信削除