南城市知念のバス停留所です。
こちらは、志喜屋線(38番)、知念佐敷一周線(A1右・A2左・A3右)、知念南回り線(E)が停車します。 ご利用の際は変更等があるので、バス会社に確認してください。
国道331号線の南城市知念知念にバス停留所(地図)はあります。
2006年に知念村と玉城村、佐敷町、大里村の四つの町村が合併したので、知念村知念の住所が知念知念になっています。(佐敷佐敷、大里大里、玉城玉城もあります)
知念区コミュニティーセンターです。
知念区コミュニティーセンターの裏側から。
再びバス停留所付近に戻る。
バス停留所のすぐそばにある「ウフミチガー(地図)」。
ウフミチ井泉(ガー)
国道331号から知念グスクへ上がる道沿いにある井泉。 池沼だったが、泉地の前面は埋められ、コンクリートが張られている。 綱引のカヌチ棒はひび割れ防止のため池沼の底土に埋めて保管されていた。
南城市の御嶽より
坂を上っているとシーサーが鎮座していた。
知念のシーサー
知念のウフグスク後ろにあり部落の入口に置かれている。 北北東に向いていて、魔除け、又はサンゲーシの役割をはたしている。 高さ85cmもあります。
案内板より
坂をさらに上ると知念城跡の看板が出ている。
その向かい側には駐車場があります。
知念の歴史と文化
知念グスクのふもとにある集落です。 琉球王国時代は聞得大君の知行地であり、今もグスクは東御廻りの巡礼地になっています。 「球陽」によると、玉城と並び稲作発祥の地とされています。
歴史文献をみると、「絵図郷村帳」に「知念村」「はたま村」と記されています。 「琉球国由来記」には知念に、知念ノロと波田真ノロ、二人のノロがいたことが記録されています。 これらのことから元々は二つの集落だったと考えられています。 なお、「はたま村」は「平仲」(平中とも表記される)と呼ばれる地域に移動したようです。
集落内には、火の神の祠井泉、簡易水道跡が多数存在し、文化遺産と日々の暮らしが密接につながっていた時代の精神が今も脈々と生きている地域といえます。
近くの案内板より
知念城跡の手前に「ノロ屋敷跡」。
こちらが知念城跡(地図)です。
知念城跡
知念城跡は、ミーグスク(新城)とクーグスク(古城)とよばれる二つの郭からできています。 クーグスクは古い野面積みで囲まれ、一番高い岩山の上に立地しています。 ミーグスクは、二つの門と石垣で囲まれた郭です。 正面から入ると、「火の神」が祀られている小さな祠がみえ、さらにその奥には「友利御嶽」があります。 友利とは、「名高く尊い」という意味があります。
知念城跡内には、1721年から1903年に至るまでの間、知念番所(間切の役所)が置かれました。 現在の火の神は、番所が移動した後に地域の人々が祠をつくり祀ったものです。
この御嶽や火の神には、地元だけでなく県内全域からの参拝客も多く訪れ、東御廻りの拝所となっています。
近くの案内板より
こちらは火ヌ神。
こちらが友利之嶽です。
次のバス停留所は…
県営知念団地
久美山
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