名護市宇茂佐の森にある「北部会館」です。
こちらは、やんばる急行バスが停まります。 変更等があるのでご利用の際は、バス会社に確認してください。
やんばる急行バス (ホームページ)
国道58号線の宮里四丁目(北)の交差点から国道449号線と曲がり、屋部方面へと進んでいくとバス停留所(地図)はあります。
こちらは新国道449号線と呼び、宮里三丁目交差点から屋部西交差点までの道路は旧国道449号線と呼ばれています。
旧国道449号における大型車両の通行規制について (名護市役所ホームページ)
こちらが北部会館。 初めて見た時はホテルと思いました。
屋部川に掛かる志味橋より。
奥に見えるのは北部地区医師会病院。
名護市史本編9民俗地図で見ると「志味橋」ではなく、プーミチャー橋になっています。
プーミチャー橋
このプーミチャー橋の建設を宇茂佐の某氏が請け負い、建築資材の一部を宇茂佐のクンリーに隠したため、ある日轟音とともに崩れ落ちた。 別の業者がそれをつくり直したが、それ以来、橋は「シニバシ」と呼ばれるようになった。
名護市史本編9民俗地図より
「シニバシ」から「志味橋」の名が付いたのかと思いましたが、橋を渡った先の小字が「志味屋原(シミャー)」でした。
北部会館の裏側。
北部会館が建設される前は、この場所には国頭郡組合立の国頭農学校がありました。 その初代校長は黒岩恒氏。 クロイワランやクロイワザサ、クロイワトカゲモドキ、クロイワゼミ、クロイワツクツク、クロイワニイニイなどの発見者、そして尖閣列島の命名者です。
黒岩恒
土佐藩に生まれる。 寺子屋や地域の教育施設で地理・天文・物理学を学んだあと、独学で専門教科を勉強して教員資格を取得。 出身地の小学校で十数年勤務し、1892年に沖縄師範学校の教師になる。 1902年に国頭農学校の校長になり、15年から20年までは製糖会社の農場主任。 二十八年間、沖縄に滞在し、動植物や地質などの調査研究をし、専門誌に発表。 本土産のナス、キャベツ、温州みかんを導入。 台湾からは相思樹を導入し、薪炭材や防風林として活用した。 同郷の植物学者・牧野富太郎に植物の標本も送っている。 古賀辰四郎と西表島北方の島を調査し、尖閣列島となづけた。
琉球・沖縄 歴史人物伝 新垣俊昭 著より
こちらはプーミチャー。
プ-ミチャ-
宇茂佐の集落の北、東屋部川沿いにプーミチャーと呼ばれる拝所があります。一帯も小字名もプーミチャーと呼ばれ、「大土」の字があてられますが、『名護六百年史』では、「大神」の字をあてています。その書によると、仲北山の一族が今帰仁を追われ、このプーミチャー一帯に隠れ住んだ場所といわれ、名護城に次名護人の先住の地であったといいます。
崖下にある岩壁を掘りぬいた墓が、そこに住んでいた崎山按司以下住民たちの墓だといわれ、その子孫にあたるという屋部の大(ぷー)一門の人たちが毎年拝んでいます。この小丘には、他にも十数か所の墓が確認できますが、拝まれているのは数ヶ所です。
プーミチャーのすぐ北に、七月森という丘があり、その頂きにタカユースク墓とも呼ばれる墓があり、大一門はそこも拝みます。
名護大百科事典より
北部会館の裏手にある「緑のネットワーク広場」のトイレ。
トイレの上が展望台になっていてビックリしました。 しかしトイレの外壁に大きいガラスが使われていて、外から中が丸見えだったのがもっとビックリした。(その写真を撮っていたら通報されそうなので、撮影はしておりません。ご自身でお確かめください。)
展望台から。
(画像をクリックすると移動します)
ホテルリゾネックス名護
名護バスターミナル前
次も更新してください。
返信削除コメントありがとうございます。
削除今月初めは別件で忙しく、更新をサボっておりました。 梅雨も明けたので頑張ります。
どう致しまして。
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