豊見城市高安のとよみ小学校前(地図)です。
バス停留所の場所名がシールで消されていますが、以前は「NHK入口」という名称でした。与根線が停まります。
立ち退きで、どんどん建物が崩されて更地になっています。
右下の広場はとよみ幼稚園。
こちらは石火矢橋。
石火矢橋(いしびやばし)
豊見城城跡の東側を流れる饒波川に架設された五連の石造拱橋(アーチ橋)。 もとは木橋であったが、1697年石造となる。 橋脚からアーチまで琉球石灰岩を加工して石組みにし、橋脚には上下流にたいして三角形の防水基(潮切り)を設け水流にたいする配慮がなされていた。 橋の上部は水平で駄背(だはい)橋のような凸部はない。 沖縄戦により破壊され、残っていた橋脚も最近取り払われた。 天久通事親雲上(あめくつうじぺーちん)撰文による碑文(1697創建)も戦争で破壊。
(沖縄タイムス社「沖縄大百科事典」より)
通事は通訳、若しくは久米村の役職の事。
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今年も更新を続けてください。
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