名護市呉我にある「呉我橋」のバス停留所です。
こちらは本部半島線(65番・66番)が停まります。 ご利用の際は変更等があるのでバス会社に確認してください。
名護市呉我にある「呉我橋」のバス停留所(地図)です。
二年前に撮影した後に行って確認していないので、バス停留所の位置などが違う場合があります。 ご了承をお願いします。
呉我は方言名では「グガー」。
呉我は今帰仁村の呉我山からの移動村落なので、地名はそこからついたと思われます。(角川日本地名大辞典より)
国道505号線が開通していると思いますが、まだ完成後を見ることが出来ません。
奈佐田川に架かる旧呉我橋。
残念ながら去年8月ごろに撤去されたようです。
旧呉我橋、住民が渡り納め 老朽化で撤去作業始まる
【名護】沖縄県名護市呉我区(山城正人区長)の旧呉我橋の撤去作業が始まっている。地域住民の生活道路として1962年12月に完成したが、老朽化が進み危険な状態になったため、10年ほど前から使用されていない。
開通当時は嵐山などの畑や今帰仁に向けての通行には欠かせない道路だった。6月13日には住民らによる渡り納めも行われ、生活を支えてくれた橋との別れを惜しんだ。
山城区長は「区民を支えてくれた橋だが今は国道505号との隣接道もでき、寂しいが時代の流れです」と話している。解体撤去工事は6月から始まっており、8月末まで行われる。
(琉球新報 2021年7月25日付より)
奈佐田川河口のグガーンナトゥ(呉我湊)は、かつての要津の一つで、山原船の出入りでにぎわった。 河口の幅は約80mで、昭和2年呉我橋が架橋されるまで、渡し舟で連絡していた。呉我湊は、古くは古我知港と称していたという【南島風土記】。
昭和2年、群の直営工事によって呉我橋が架設された 。 同9年に県直営で鉄筋コンクリートの橋に改修されたが、戦争中日本軍に爆破され、仮橋が設けられていたが、同36年再び鉄筋コンクリートの橋が架設された。 昭和60年この橋の下流に新呉我橋が架設された。
(角川日本地名大辞典より)
上の写真の橋げたは爆破された橋の残骸かな?
次のバス停留所は…
我部井 (GABUI)
呉我
次も更新してください。「呉我」「呉我入口」も載せてください。
返信削除コメントありがとうございます。
削除近日中に公開できたら良いなぁと思います。
どう致しまして。
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