南城市佐敷小谷にある「小谷」のバス停留所です。
こちらは、那覇新開線(37番)、城間線(191番)、知念・佐敷一周線(A1右、A2左、A3右)、ニライカナイ・つきしろ(B1右、B2左)が停まります。 ご利用の際は変更等があるのでバス会社に確認してください。
方言では「ウクク」といいます。
美ら石
急坂を上りきった見晴らしのよいところにあり、村人は坂を上るときこの岩に座って一休みしました。 旅立つ人を見送る場所でもあったこの坂道は近年再整備され、桜並木と年末のイルミネーションの名所となっています。
案内板より
美ら石から少し上っていくと神屋敷(地図)があります。
神屋敷(かんじゃしち)
小谷住民の大半が属する上之引門中の神屋敷で、神仏壇、生仏壇等を祀っています。 ハチウビー、五月ウマチー、六月ウマチー、ヌーバレー、御願ブトゥチなど地域の年中行事の多くは、ここでの拝みから始まります。 地域外からは津波古区なども拝みに来ます。
南城市教育委員会
生仏壇という単語を初めて知りました。 どういう意味か調べてみます。
こちらは下茂の井(地図)です。
下茂の井(シムヌカー)【別名:夫婦井(ミートゥガー)】
橋を渡ると、井戸の前庭中央に自然岩がある。 古くは、この石から左右にわかれて男女が利用していた。 また、この自然岩の下にある中央くぼみは、頭髪を洗うとき水をためた洗面器代用(ビンダレー)ではないかと考えられている。
道路をへだてて北側には知念若按司が住んだという屋敷跡があり、この井は知念若按司がつくったとも伝えられる。 小谷集落内では古い時代からある井戸である。
南城市教育委員会
産井泉(ウブガー)としても使用されていたそうです。
こちらはタカンリ(地図)。
タカンリ
中城湾と知念半島を一望できる高台です。 旧暦六月の綱曳の際には、童綱(わらびぢな)のチナノーイ(綱つくり)やガーエーが行われる場所でした。 毛遊びもここで行われました。
案内板より
こちらは祟りが怖い、上の井泉(地図)です。
上の井(ウィーヌカー)【別名:小谷子の井(ウククシーヌカー)】
小谷集落の南に位置し、泉を利用して造られた樋井。 天井の形は、下方にある中の井と異なり、平たく、左右の大石で支えられている。 生活用水として重要な水源で、1974年頃まで使用されていた。 向かって右側は「水の神」を祀っている。
説話に、井戸の水が真っ赤に染まった話がある。 それは、旧暦12月27日のウヮークルシーの時、チーイリチーを捧げるのを怠ったためのたたりであり、以来、毎年欠かさず供えるようになった。
南城市教育委員会
上の井泉の近くにある、中の井泉(地図)です。
中の井(ナカヌカー)
周辺地形より1mほど低くなる場所に造成されたアーチ形の天井をもつ樋井。 主に粟石を使っているが、向かって左側は自然石を利用しており、明治以降に造られたのではないかといわれている。
昔は、井戸から直接飲み水を汲み、井戸前の広場でいも(甘藷)を洗い、向かって左側の池では、女性たちがわきあいあいと洗濯する姿が見られた。
上の井と同様に、ウヮークルシーの日には、チーイリチーが供えられた。
南城市教育委員会
小谷にある3つの井泉の中でここが最も新しく、下茂の井が最も古いとの事です。
小谷構造改善センターです。
小谷構造改善センターを過ぎて上っていくと石畳がある。
石畳
石畳道は山から土砂が落ちるのを防ぐために造られました。 昔は至るところで敷かれていましたが、車が増えた昭和40年代頃から失われはじめ、現在はこの場所しか残っていません。
案内板より
石畳に道路以外の用途があることを初めて知りました。
馬場跡の小谷農村広場。
小谷農村広場の奥には土帝君がある。
土帝君(とぅーてぃーくん)
中国から沖縄に伝わったとされる土地信仰で、小谷では十二支の神を祀っています。 旧暦2月2日の土帝君ウガミをはじめ節目の行事に、子どもの成長や五穀豊穣と地域の繫栄を祈ります。 旧暦9月18日の十八夜では、その年生まれた子どもを地域で盛大に祝う慣わしです。
案内板より
次のバス停留所は…
新里
馬天小学校前
馬天営業所
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返信削除コメントありがとうございます。
削除更新頻度を上げていけるよう頑張ります。
どう致しまして。
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