2021年11月24日水曜日

小谷 (OKOKU)

"OKOKU" Bus stop

 南城市佐敷小谷にある「小谷」のバス停留所です。

 こちらは、那覇新開線(37番)、城間線(191番)、知念・佐敷一周線(A1右、A2左、A3右)、ニライカナイ・つきしろ(B1右、B2左)が停まります。 ご利用の際は変更等があるのでバス会社に確認してください。



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 国道331号線の津波古交差点から県道137号佐敷玉城線に曲がって、そのまま進んでいくとバス停留所(地図)はあります。

 方言では「ウクク」といいます。



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美ら石
 急坂を上りきった見晴らしのよいところにあり、村人は坂を上るときこの岩に座って一休みしました。 旅立つ人を見送る場所でもあったこの坂道は近年再整備され、桜並木と年末のイルミネーションの名所となっています。
案内板より



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 美ら石から少し上っていくと神屋敷(地図)があります。

神屋敷(かんじゃしち)
 小谷住民の大半が属する上之引門中の神屋敷で、神仏壇、生仏壇等を祀っています。 ハチウビー、五月ウマチー、六月ウマチー、ヌーバレー、御願ブトゥチなど地域の年中行事の多くは、ここでの拝みから始まります。 地域外からは津波古区なども拝みに来ます。
南城市教育委員会

 生仏壇という単語を初めて知りました。 どういう意味か調べてみます。



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 こちらは下茂の井(地図)です。

下茂の井(シムヌカー)【別名:夫婦井(ミートゥガー)】
 橋を渡ると、井戸の前庭中央に自然岩がある。 古くは、この石から左右にわかれて男女が利用していた。 また、この自然岩の下にある中央くぼみは、頭髪を洗うとき水をためた洗面器代用(ビンダレー)ではないかと考えられている。
 道路をへだてて北側には知念若按司が住んだという屋敷跡があり、この井は知念若按司がつくったとも伝えられる。 小谷集落内では古い時代からある井戸である。
南城市教育委員会

 産井泉(ウブガー)としても使用されていたそうです。



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 こちらはタカンリ(地図)。

タカンリ
 中城湾と知念半島を一望できる高台です。 旧暦六月の綱曳の際には、童綱(わらびぢな)のチナノーイ(綱つくり)やガーエーが行われる場所でした。 毛遊びもここで行われました。
案内板より



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 こちらは祟りが怖い、上の井泉(地図)です。

上の井(ウィーヌカー)【別名:小谷子の井(ウククシーヌカー)】
 小谷集落の南に位置し、泉を利用して造られた樋井。 天井の形は、下方にある中の井と異なり、平たく、左右の大石で支えられている。 生活用水として重要な水源で、1974年頃まで使用されていた。 向かって右側は「水の神」を祀っている。
 説話に、井戸の水が真っ赤に染まった話がある。 それは、旧暦12月27日のウヮークルシーの時、チーイリチーを捧げるのを怠ったためのたたりであり、以来、毎年欠かさず供えるようになった。
南城市教育委員会

 ウヮークルシーは豚の解体、チーイリチーは豚や牛の血を使った煮物料理のことです。



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 上の井泉の近くにある、中の井泉(地図)です。

中の井(ナカヌカー)
 周辺地形より1mほど低くなる場所に造成されたアーチ形の天井をもつ樋井。 主に粟石を使っているが、向かって左側は自然石を利用しており、明治以降に造られたのではないかといわれている。
 昔は、井戸から直接飲み水を汲み、井戸前の広場でいも(甘藷)を洗い、向かって左側の池では、女性たちがわきあいあいと洗濯する姿が見られた。
 上の井と同様に、ウヮークルシーの日には、チーイリチーが供えられた。
南城市教育委員会

 小谷にある3つの井泉の中でここが最も新しく、下茂の井が最も古いとの事です。



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 小谷構造改善センターです。



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 小谷構造改善センターを過ぎて上っていくと石畳がある。

石畳
 石畳道は山から土砂が落ちるのを防ぐために造られました。 昔は至るところで敷かれていましたが、車が増えた昭和40年代頃から失われはじめ、現在はこの場所しか残っていません。
案内板より

 石畳に道路以外の用途があることを初めて知りました。



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 馬場跡の小谷農村広場。

 

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 小谷農村広場の奥には土帝君がある。

土帝君(とぅーてぃーくん)
 中国から沖縄に伝わったとされる土地信仰で、小谷では十二支の神を祀っています。 旧暦2月2日の土帝君ウガミをはじめ節目の行事に、子どもの成長や五穀豊穣と地域の繫栄を祈ります。 旧暦9月18日の十八夜では、その年生まれた子どもを地域で盛大に祝う慣わしです。
案内板より



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次のバス停留所は…


新里


馬天小学校前


馬天営業所

4 件のコメント:

  1. 次も更新してください。

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    1. コメントありがとうございます。
      更新頻度を上げていけるよう頑張ります。

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  2. どう致しまして。

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  3. 次も更新してください。

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琉大北口 (RYUDAI-KITAGUCHI)

   琉球大学の敷地内にある「琉大北口」のバス停留所です。  こちらは中城村の護佐丸バスの伊集回り線、久場回り線、久場琉大線が停まります。 掲載している情報は公開日時点のものなので、バスなどをご利用される際は関係各所に確認してください。