那覇市山下町にある「山下」のバス停留所です。
こちらは、小禄石嶺線(9番)、牧港線(55番)、宜野湾線(88番)、琉大線(98番)、那覇糸満線(446番)が停まります。 ご利用の際は変更等があるのでバス会社に確認してください。
那覇市の山下町と奥武山町の間を通る、県道7号線沿いにバス停留所(地図)はあります。
バス停留所のすぐ近くには、奥武山公園とゆいレールの奥武山公園駅があります。
隣接している奥武山公園には、「島田叡氏顕彰碑」が建っているのがすぐ目につく。
島田叡氏は敗戦が濃厚となった1945年1月末に、大阪内務部長から沖縄へ第27代県知事として赴任。 同年4月1日から始まった地上戦の戦火を各地を転々として避けながら、知事としての執務を壕の中から行い、同年6月26日に摩文仁の壕から出たのを最後に消息を絶ちました。
島田叡(Wikipedia)
奥武山公園内にあるセルラースタジアム那覇もすぐ近くにある。 ただし入口は反対側にある。
山下町
はじめは那覇区。 大正10年からは那覇市の町名。 もとは那覇区垣花の一部。
戦後いわゆる垣花三町(住吉・垣花・山下)は米軍に接収されたが、昭和43年山下町の一部が解放地となり、8年がかりで区画整理が行われた。 米軍占領下でも山下町と称したが、旧日本軍シンガポール攻略の山下将軍と同名だということで許されず、ペルリ町にせよと命じられた。 しかし人々は、南アメリカの国名ペルーあるいはペリーと呼んでいた。
(角川日本地名大辞典より)
曖昧なのですが「山下」のバス停留所は、以前の名称は「ペリー」だったと聞いたことがあります。
こちらは山下町第一洞窟遺跡公園(地図)。
この公園内にある洞窟から「山下洞人」と命名された旧石器時代の人骨が見つかりました。
初めて訪れた日は、公園内でイチャイチャしている若いカップルに遭遇。 そんな雰囲気の中で撮影するほど強い写真家スピリッツは持ち合わせてはいないので、その日は撮影を諦めて帰った。
那覇市山下町第一洞窟
洞窟は標高約15mの琉球石灰岩小丘にあり、間口約1.5m、奥行き約5.0m、高さ約3.0mで南に開口している。 発掘調査は二度行われた。 1962年の調査では鹿の骨。角製品や石器(石弾)等が発掘され、1668年の調査では6枚の堆積層が確認されている。 下層の6枚目の堆積層からは、鹿の骨や角を削ってつくった骨・角製品や、化石化した8歳ほどの子供の大腿骨と脛骨が出土している。 また3枚目の層から採集した木炭の年代測定により、およそ32,000年前の遺跡であることが明らかにされた。 沖縄最古の遺跡である。
(近くの案内板より)
ちなみに港川人は約18,000年前です。
奥武山に巨人を見に来たついでに、洞人も見に来てはいかがでしょうか。
右にあるのはペリー保育園。
この界隈に住んでいたという同僚に、昔の面白い話はないかと尋ねてみました。 彼が中学生のころに、ペリー保育園の向かいにあった銭湯の女湯をのぞき見したのがバレて物凄く怒られたと、こちらが期待しているようなネタではない事をうれしそうに語ってくれました。
次のバス停留所は…
(画像をクリックすると移動します)
軍桟橋前
小禄入口
近くの別のバス停留所
奥武山公園駅前 (ONOYAMA KOEN EKI MAE)
最寄りのモノレール駅は…
奥武山公園駅 (ONOYAMA KOEN Station)
次もゆっくりでいいから更新してください。
返信削除「小禄入口」も追加してください。
ありげとうございます。
削除ご声援を励みに頑張ります。
どう致しまして。
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