那覇市赤嶺にある「赤嶺駅前」(地図)のバス停留所です。
こちらは、石嶺「開南」線(17番)、浦添線(56番)、赤嶺てだこ線(87番)、糸満線(89番)が停まります。
追記:ウミカジライナー(TK02)も停まります。
追記:こちらのバス停留所の名称は、赤嶺駅前、赤嶺駅前広場、赤嶺駅[南・北]がありますが、ここでは「赤嶺駅前」で統一していますのでお気を付けください。
赤嶺駅の真下にあるバス停留所です。
国道331号線から県道221号線に入ってすぐにありますが、NAHAマラソンではここから微妙な上り坂になっていくので最後の難所だと思います(運動不足なのに無理して参加した僕としては)。
歩道橋が色んなとこまで伸びている。
ポツンとある案内板。 ここにあった「当間学校跡」の解説が載っていました。
この地に建てられた学校跡。 正式名称は、小禄尋常高等小学校。
小禄間切の小学校は、1880年3月、小禄間切番所内に置かれたのに始まる。 1891年頃、小禄間切赤嶺村と当間村の境に新築移転し、小禄尋常小学校と称した。 当時は、4学年制で、習字や算術の授業が主であった。
1894年、児童の就学数も次第に増え、小禄間切でも1902年、金城村に新たに学校を設置し、東部小禄尋常小学校と称し、もとからの学校を西部尋常小学校と称した。 これらの学校は、その所在地から金城学校、当間学校としょうされた。
1923年、小禄尋常高等小学校が校舎狭隘として改築され、赤レンガ造りの2階建て校舎2棟が建設された。 沖縄県で初めてのレンガ校舎で、「レンガ造りの当間学校」として有名になった。
学校周辺は、那覇と糸満を結ぶ糸満街道(1908年開通、現国道331号及び県道231号線)が通り、隣接地には、「当間の機織学校」と称された島尻女子工業徒弟学校(1903年開校)や、小禄村役場(字小禄から1923年移転)が置かれ、昭和戦前期は、小禄村の中心地帯であった。
1945年の沖縄戦により、当間学校は消失し、一帯は、米軍基地(那覇空軍・海軍補助施設)となった。 1980年から基地が返還され、小禄金城土地区画整理事業により、小禄地区の新しい街が創られた。 当間学校跡地には、1986年に県営赤嶺市街地住宅が建設された。
案内板からの引用(少し省略しています)
こちらにある石碑は、赤嶺駅が日本最南端の駅を記念して建てられた。 もちろん最西端は那覇空港駅です。
次のバス停は…
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第二ゲイト(DAINI Gate)
赤嶺 (AKAMINE)
航空隊前 (KOUKUTAI MAE)
瀬長島ホテル (SENAGA-JIMA Hotel)
道の駅いとまん (MICHI-NO-EKI ITOMAN)
最寄りの駅は…
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赤嶺駅(AKAMINE Station)
これからも更新を続けてください。
返信削除ありがとうございます。
返信削除頑張って更新を続けていきます。
どう致しまして。
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