豊見城市瀬長にある瀬長島ホテル(地図)です。
中部観光サービスのシャトルバスが停まります。 ウミカジライナー(TK02)も停まります。
2012年、瀬長島の島の真ん中に琉球温泉瀬長島ホテルとして開業しました。
その前までは何にもなくて雑草が無造作に生い茂り、下り坂をドリフトしながら疾走するドリフト野郎と那覇空港を見ながらイチャイチャするカップルの集う場所でしたが、今やリゾート地ばりの観光名所に生まれ変わりました。
竜宮社。
昔、在ったかな?
瀬長は方言で「シナガ」といい、瀬長島には「アンジナー」という呼称もあって、これは古くは島内に按司の居城があったことから「按司の住む砂地の島」という意味の「アジシナジマ」が転訛したものとされる。
ただ、『海東諸国紀』所収の「琉球国之図」には瀬長島の位置に「阿義那之城」と記されることから、アギナーがアンジナーに転訛した可能性も指摘できる。
豊見城市史 第二巻 民俗編より
シナガグスク瀬長島のほぼ中央部の丘陵上に位置し、瀬長按司の居城と伝えられるグスクである。 (中略)
十八世紀には瀬長グスクはすでに荒廃して原野同然となり、戦前までとほぼ変わらない状況であったことが窺える。
豊見城市史 民俗編より
泊の雍(よう)姓一門には、三世佐敷筑登之興道が瀬長城征伐を行ったという口碑が残されています。
それによると瀬長島の悪い城主がおり、中山の命令にも従わず人民を苦しめていたので、何度か征伐するため兵を送ったが城を落とせなかった。
しかし、興道に征伐を命じて向かわせたところ、城主は興道の名を聞いただけで、戦わずして城を明け渡したということです。 (豊見城市史より)
佐敷興道(さしきこうどう)は島津侵入の際には北谷城を守っていて、首里が薩摩軍に攻め落とされたことを聞いて自決した人物です。
北谷城北側に崖にある墓が佐敷興道の墓だと言われています。 (北谷町の自然・歴史・文化より)
ここは瀬長島海中道路側から見て山の反対側にあたり、何も施設もなく週末にバイクのトライアルするぐらいの荒れ地と傾斜地のイメージだったのに…。
右手に見えるのが瀬長島ホテル、手前にあるのが2015年にオープンしたウミカジテラス。
店舗数47とFMとよみのサテライトスタジオが入る商業施設。
個人的には赤瓦をモチーフに入れて沖縄の要素を取り入れてほしかった。 けっしてケチをつけているのではありませんので、あしからず。
方向音痴のボクには優しくない作り。 いろんな店舗があるので、見て歩き回るのは楽しい。
この瀬長島には琉球の始祖アマミキヨの子、南海大神加那志が住みはじめて豊見城が始まったという伝説があります。
「沖縄県公文書館所蔵」
1945年4月、上空から撮られた瀬長島。
島の右側には民家が立っているのが見えます。
干潮時には干潟を歩いて第二豊見城尋常高等小学校(座安小学校)に登校しましたが、満潮時には字で所有する通学用のサバニで登校したそうです。 ちなみに下校は干潮になるのを待ってから帰るとのこと。 (豊見城市史より)
次のバス停は…
(画像をクリックすると移動します)
赤嶺駅前 (AKAMINE-EKI MAE)
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