那覇空港の近くにある、貨物ターミナル前(地図)です。
こちらは廃線になっていますが、まだバス停留所の標識が立っています。 (現在は有りません)
左のフェンスを越えると滑走路です。
以前はそこに貨物ターミナルがあり、もう少し先には旧国際線ビルを改装した国内線第二ターミナルが建っていて、そこからは主に離島便が就航していました。
1973年にタイから運ばれた小象が、那覇空港内の保税倉庫の檻から逃げ出して行方不明になる事件がありました。 関係者や賞金(3万円)目当ての人たちが必死に捜索するも、未だに見つけられておりません。 海で溺れて死んでしまったのか?、誰かが食べてしまったのではないか?、初めから連れてきていないのではないか?と様々な噂が流れました。
向こうに見えるのは新国際線ターミナル。
追記:現在は立ち入り禁止エリアになっているようなので入れません。
奥に行くとエア沖縄の建物と管制塔、そして新貨物ターミナルがあり、行き止まりになっているので引き返すことになります。
中央の建物が貨物ターミナルビル。
現在は全日空系LCCであるピーチ・アビエーションとバニラ・エアの二社もここから搭乗します。
直接、クルマや徒歩では行けないので注意してください。(国内線ターミナルのバス乗り場4番からシャトルバスが運行しています)
追記:LCCの受付と搭乗口は那覇空港ターミナルに移転しています。
貨物ターミナルの正面です。
旧国内線第一ターミナルビルとタクシープールの跡地に建っています。
集合拝所です。 赤い祠の隣に「ティージクンガー」のレプリカがありましたが、写していません。
ティージクンガーがあった場所は、現在は滑走路になっています。
ティージクンガー(手拳井)
剛力で名を馳せた勢理客大親(仲本大主)は、1600年前後に活躍した赤嶺村仲本門中の人である。首里城内で務めるかたわら赤嶺安里原で農業に精を出し、時には鏡水崎原で漁をした。
勢理客大親が崎原で漁をしていたある日、干潮時に差しかかる頃、夜どおしの漁で喉が渇いていた。
ここにカー(井)があればと、剛力に任せて磯(イノー)に手拳を突いたら、ひび割れて水が湧き、のどを潤すことが出来た。 人々は大親の武勇に敬慕し、また水の恵みに感謝し「赤嶺勢理客のティージクンガー」と呼び、拝所として守り伝えてきた。
勢理客大親には、多くの武勇伝があり、時として超人的な能力を持つ人として語り伝えられている。 武を驕らず、知をひけらかさず、仁をもって人と交わった。 ~略~
(ティージクンガー碑文より)
ビジュルなどがいくつか見受けられるので、空港を造る際にあちこちにあった拝所をまとめたのかもしれません。
那覇航空交通管制部です。
左に見える岩礁に沖縄に初めて建てられた灯台が有ったそうです。
現在見えている塔は、戦争で破壊された灯台跡に建てられた米軍の航路標識灯です。
「沖縄公文書館所蔵」
沖縄公文書館のホームページで見つけた先原崎灯台。
昔から船や飛行機を導いていた。
「那覇市歴史博物館 提供」
「那覇市歴史博物館 提供」
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