中城村添石のバス停留所(地図)です。
こちらは東陽バスの泡瀬東線(30番)、護佐丸バスの久場回り線と伊集回り線が停車します。 ご利用の際は変更等があるのでバス会社に確認してください。
中城村老人福祉センターの前に在ります。
他の所なら「老人福祉センター前」という名称になっていたと思います。
北行き。
添石は方言名では「シーシ」といいます。
添石
伊舎堂村の南にあり、東は中城湾に面する。 絵図郷村帳に添石村とみえる。 中城間切の番所は「琉球国旧記」によると当村に置かれているが、「球陽」には中城グスク内の殿が撤去され、その代わりに間切の住人が城内に瓦屋を建てて駅(番所)にした。 当初は当村にあったが尚敬王の時代に移された可能性が高い。
(平凡社「沖縄県の地名」より要約)
正確な場所が分かっていない「照屋村」が隣接していたそうですが、たぶん添石村に合併されたようです。
南行き。
こちらから中城城址を見ることが出来ます。
距離的に中城城址のネタを載せるには次の伊舎堂のバス停留所が近いのですが、僕の都合でここで載せていきます。
バス停のあった場所から南下してすぐの信号機から左折して上って行くと、成田山福泉寺の入口とそのバックに中城高原ホテルが見えて来ます。
この福泉寺は沖縄三越の創業者である大城鎌吉奉賛会々長や経済界などの尽力と、金子妙福初代住職の多大な法力(!)によって、御本尊を不動明王として昭和50年11月に建立されたとあります。
恥ずかしながら調べるまでは、福泉寺という名称のことを知りませんでした。
さらに上って行くと右手に折れた道沿いに、沖縄の英雄の一人「護佐丸」の墓が在ります。
お墓まで行くには結構な階段を上りますので覚悟して下さい。
こちらが護佐丸公の墓(地図)です。
15世紀ごろに第一尚氏王統に仕えた護佐丸は、ライバルの阿麻和利の策により首里王府に謀反を疑われ、阿麻和利を総大将とする王府軍に中城城を包囲された際はほとんど抵抗することなく妻子と共に自害したそうです。
組踊の「二童敵討」は、護佐丸の二人の息子が阿麻和利に敵討ちをする話ですが、実際には彼の乳飲み子の三男・盛親は乳母と共に逃れた話が残っているぐらいで二人の息子が打ち取ったという話はなく、悲劇の英雄として庶民に人気があった護佐丸を用いた創作劇です。
読谷村の座喜味城を造ったのも彼ですが、その築城の際に労働者として奄美や慶良間の住人達を強制的に連れてきたらしく、奄美では「護佐丸に連れていかれるぞ」という子供を叱るときの決まり文句があったと聞いたことがあります。
県道146号線に戻ってさらに上がっていくと右手に自動車学校、左手に中城城跡の駐車場が見えて来ます。
見えてきた駐車場ですが、こちらは観光バス専用みたいです。
この写真の右方向に普通車用の駐車場が在ります。
世界遺産とはいえ公園の周辺は整備中なので、まだ世界遺産認定前の味わい深い雰囲気を残しています。
中に入っていくと管理事務所のプレハブと城へと続く登り坂が見えます。(右の平坦な道は帰路)
入場料は大人が400円、子供が中高生300円、小学生200円、未就学児は大人同伴で無料になっています。
観覧時間は8:30~17:00(6月~9月は18:00)になっています。(変更等があるので確認して下さい)
坂を進んで行くと、中城城跡とその認定証(?)の石碑が見えて来ます。
公園の案内に沿って進むと写真右手の裏門から入り、城の奥の正門から出るルートになっています。
こちらは裏門ですが、城内へのルートはここから進んで行きます。
左に見える三之郭(さんのくるわ)へ続く階段から城内中心部へと入って行けます。
下に見える石が敷かれていない場所は北の郭。
北之郭の脇から下った所に井戸が在ります。
二之郭(にのくるわ)へと続く門。
二之郭から三之郭と勝連半島を望む。
ここからは勝連半島だけでなく、知念半島も見渡すことが出来ます。
二之郭と一之郭(いちのくるわ)に続く門。
一之郭と二之郭の石垣は「布積み」と呼ばれる技法で積み上げられていますが、三之郭は「亀甲乱れ積み」と呼ばれる技法で積み上げられています。 そのため三之郭は他の郭と同時代には造られていないだろうと言われています。
一之郭の内部。 門の手前は舎殿後。
解体された石が所狭しと並べられておりました。 調査の跡に再び組み立てるため、石には一つ一つに番号が振られてありますが、細かいの石にも番号が振られているのを見て、気の遠くなる作業だと感心してしまいました。
この場所は戦前には中城村役場として使用していたそうです。
南の郭。
ここは一之郭のさらに奥の方にあり、拝所や遥拝所などがあるので聖域(?)みたいなところかもしれません。
中城城跡の最奥部。
正門を上から撮影。
屋根のない楼門形式の造りになっていて、方角は首里の方向に向いているそうです。
正門です。
正門なのに出口の扱いです。
正門のそばを城壁に沿って回り込んでいくと、ここの位置からペルーの一行が写生をしたとされる場所に行けます。
木が邪魔していたので、それを描いたと思われるところからは撮影していません。
城の裏手(正門の前ですが…)?
こちらは、中城城跡の一番奥にある中城高原ホテル。 沖縄では有名な廃墟です。
会社の同僚が昔、夜に肝試しで建物の中に侵入したら、洗濯物が干してあったり、食べ物のカスや寝床があったりと誰かの生活臭がしたので全然怖くなかったと言ってました。
ここは、昼はサバイバルゲーム、夜は肝試しとして人気が高いようですが、基本的に立ち入り禁止です。
上を飛んでいるのは普天間基地から飛んできたオスプレイ。
中城城址から出て道をしばらく行った所に、港川人の骨を発見した大山盛保の記念碑が在ります。
大山盛保は県内初の給油所を作るなど実業家として活躍されただけでなく、化石のアマチュア研究家として数多くの化石を発掘した人です。
次のバス停は…
(画像をクリックすると移動します)
伊舎堂
中城小学校前
登又
中城モール
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