宜野湾市の真志喜(地図)です。
こちらは、名護西線(20番)、具志川線(23番)、読谷線(28番)、読谷「喜納」線(29番)、泡瀬西線(31番)、コンベンションセンター線(32番)、前原線(61番)、謝苅線(63番)、名護東線(77番)、天久新都心線(99番)、国体道路線(112番)、名護西空港線(120番)、具志川おもろまち線(223番)、読谷おもろまち線(228番)、謝苅おもろまち線(263番)が停車します。 変更等があるので、ご利用の際はバス会社に確認してください。
58号線からコンベンションセンターへ行くT字路に在ります。
以前は宜野湾バイパスが牧港まで開通していなかったので、ここから左折してコンベンションセンターまで抜けて行きました。
歩道橋の上から撮影しました。
いつもここは混んでいるイメージです。
この先にコンベンションセンターが在ります。
村名は、「絵図郷村帳」には見えず、「由来記」に記される。 かつては浦添間切謝名村のうちで、1671年 宜野湾間切成立時に分村。 1681年 謝名村の真志喜が、牧港村内に開田して褒賞され、毎年切米2石5斗が与えられている(球陽尚貞王13条)。 これが沖縄における仕明地の始まりといわれ、村名はこの人物の名に由来するとも考えられている。 また「当時用候表」にも村名は見えるが、肩書きに「新村改帳ニ大川村」とあり、かつては大川村とも呼ばれていたと思われる。(角川日本地名辞典 沖縄)
仕明地(しあけち)王府時代の私有地。 慶長検地によってすべての耕地は登録されたが、その後荒地ができたので、王府は1668年 開墾許可を薩藩へ願い出、翌年から山林・原野・海浜などを開いて耕地にかえた。 開墾は87年禁止されたが、97年には牧畜・採薪にかかわりのない土地に限り許した。 仕明地とはそれらの開墾地のことで、個人所有・共同所有・間切所有のものがある。(沖縄大百科事典 沖縄タイムス社)
こちらは、宜野湾署。
この宜野湾署の隣の松林には「シチャヌカー」が在ります。
下の泉(シチャヌカー)。 上の柵を越えたらすぐ58号線という立地条件ですが、僕は全然ここを知りませんでした。
すぐ傍にある案内板によると、280年前に与那覇家が新しい墓を作ろうとした際に水が湧き出たため、お墓ではなく共同利用する水汲み場にしたそうです。
戦後はキャンプ・マーシーとしてこの一帯が接収されましたが、1976年に沖縄に全面返還されました。 その際、真志喜地区土地区画整備事業の一環として整備が行われ、2009年に再び本格的な修復がされたそうです。
大謝名
第二真志喜
第一大山
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