2014年11月25日火曜日

真志喜 (Mashiki)

Mashiki Bus Stop

 宜野湾市の真志喜(地図)です。

 こちらは、名護西線(20番)、具志川線(23番)、読谷線(28番)、読谷「喜納」線(29番)、泡瀬西線(31番)、コンベンションセンター線(32番)、前原線(61番)、謝苅線(63番)、名護東線(77番)、天久新都心線(99番)、国体道路線(112番)、名護西空港線(120番)、具志川おもろまち線(223番)、読谷おもろまち線(228番)、謝苅おもろまち線(263番)が停車します。 変更等があるので、ご利用の際はバス会社に確認してください。


Mashiki 1

 58号線からコンベンションセンターへ行くT字路に在ります。

 以前は宜野湾バイパスが牧港まで開通していなかったので、ここから左折してコンベンションセンターまで抜けて行きました。



Mashiki 2

 歩道橋の上から撮影しました。



Mashiki 3

 いつもここは混んでいるイメージです。



Mashiki 4

 この先にコンベンションセンターが在ります。



MAshiki 5

 村名は、「絵図郷村帳」には見えず、「由来記」に記される。 かつては浦添間切謝名村のうちで、1671年 宜野湾間切成立時に分村。 1681年 謝名村の真志喜が、牧港村内に開田して褒賞され、毎年切米2石5斗が与えられている(球陽尚貞王13条)。 これが沖縄における仕明地の始まりといわれ、村名はこの人物の名に由来するとも考えられている。 また「当時用候表」にも村名は見えるが、肩書きに「新村改帳ニ大川村」とあり、かつては大川村とも呼ばれていたと思われる。
(角川日本地名辞典 沖縄)

仕明地(しあけち)
 王府時代の私有地。 慶長検地によってすべての耕地は登録されたが、その後荒地ができたので、王府は1668年 開墾許可を薩藩へ願い出、翌年から山林・原野・海浜などを開いて耕地にかえた。 開墾は87年禁止されたが、97年には牧畜・採薪にかかわりのない土地に限り許した。 仕明地とはそれらの開墾地のことで、個人所有・共同所有・間切所有のものがある。
(沖縄大百科事典 沖縄タイムス社)



Mashiki 6

Ginowan police station

 こちらは、宜野湾署。

 この宜野湾署の隣の松林には「シチャヌカー」が在ります。


Sichanukar 1

 下の泉(シチャヌカー)。 上の柵を越えたらすぐ58号線という立地条件ですが、僕は全然ここを知りませんでした。


Sichanukar 2

 すぐ傍にある案内板によると、280年前に与那覇家が新しい墓を作ろうとした際に水が湧き出たため、お墓ではなく共同利用する水汲み場にしたそうです。
 
 戦後はキャンプ・マーシーとしてこの一帯が接収されましたが、1976年に沖縄に全面返還されました。 その際、真志喜地区土地区画整備事業の一環として整備が行われ、2009年に再び本格的な修復がされたそうです。



次のバス停留所は…

大謝名


第二真志喜


第一大山

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琉大北口 (RYUDAI-KITAGUCHI)

   琉球大学の敷地内にある「琉大北口」のバス停留所です。  こちらは中城村の護佐丸バスの伊集回り線、久場回り線、久場琉大線が停まります。 掲載している情報は公開日時点のものなので、バスなどをご利用される際は関係各所に確認してください。