豊見城市饒波にある、長嶺小学校前(地図)です。
ここは豊見城市内一周線(105番)が通過します。 変更等があるのでバス会社に確認して下さい。
小学校は最近、建て替えられました。
学校概要
明治39年豊見城尋常高等小学校の校地狭隘と偏在解消のため明治41年4月に分離開校した一校で、本校の前身第一豊見城尋常高等小学校は現在の西側地の西側部分に開校。
校当時は、児童数400余名、学校区域10ヶ字で発足、明治、大正、昭和、平成と激動の中、校地、校名、校区、学制改革等と幾多の変遷があった。それぞれの時代に生きた人々の英知と行動によって幾多の困難を克服し、教育の使命を果たした輝かしい歴史と伝統を持つ学校である。那覇市や南部一帯が一望できる住宅密集地より離れた小高い丘の上の絶景に位置し、今年で創立113年目(2022年)を迎える。
長嶺小学校ホームページより
長嶺中学校が1980年創立だったので、小学校も同じぐらいだと勘違いしておりました。 実はかなり歴史ある小学校だった!
「沖縄県公文書館所蔵」
沖縄県公文書館のホームページで見つけました。 写真の解説には「長嶺小学校に高等弁務官資金を交付」とあります。 解説がないと長嶺小学校とは分からないです(左側のアンテナ塔は見覚えがあるような?)。
高等弁務官
1957年(昭和32)6月5日、アメリカのアイゼンハワー大統領は、「琉球列島の管理に関する行政命令」と題する「大統領行政命令10713号」を発令しました。 これにより高等弁務官制が導入され、それまでの民政副長官に代わって、高等弁務官が沖縄現地の最高責任者となりました。それから1972年(昭和47)5月15日に施政権が日本に返還されるまでの15年間、6人の高等弁務官が就任しました。
高等弁務官は琉球政府行政主席の任命権を持ち、琉球政府の政策にも介入するなどその権限は絶対的と言えるもので、「沖縄の帝王」とも称されました。
広報活動のほかにも、高等弁務官から児童生徒に教育備品を贈呈するなどの親善活動を展開しました。
1959年度(昭和34)にはUSCAR一般資金のなかに高等弁務官資金が新設され、水道や道路、港といったインフラ、公民館や学校施設の建設整備に用いられました。財政難に悩む市町村にとって弁務官資金の供与は大きな支援となり、高等弁務官らが現地に出向いて資金贈呈式を開くこともしばしば行われて、住民の歓心を得るのに一定の効果を示しました。
(沖縄公文書館 あの日の沖縄 より抜粋)
小学校の道の反対側には、ビニールハウスが立ち並んでいます。
ビジュン
集落の最も南側の丘陵頂上に琉球石灰岩で作られた祠があり、三体の霊石が祀られている。 夜泣きや癇(かん)の虫、皮膚病が治るなどの霊験があるとされ、また饒波のビジュンは女神なので村には美人が多いといわれる。
豊見城市史 第二巻民俗編より
別の本(名前を忘れた)には、女児に拝ませると美人になれると載っていました。 オススメのパワースポットです。
カニマンウタキ
ウタキは同地番内の上方にあり、ウタキと背を向けるようにして祠が建っている。 ここにはかつて鍛冶屋があったといわれる。
以前は、石造の壁に屋根を瓦で葺いた祠があったが、1972年7月に現在のコンクリート造りの祠に改修された。
豊見城市史 第二巻民俗編より
次のバス停は…
(画像をクリックすると移動します)
饒波 (NOHA)
0 件のコメント:
コメントを投稿