中頭郡読谷村宇座の残波岬のバス停留所(地図)です。 「いこいの広場Ti‐da33」の駐車場内に在ります。
公園入口にある高さ7mの残波大獅子です。 県内最大のシーサーが出迎えてくれます。
彼(?)の遠くを見る目は貿易をしていた中国を見ているそうです。
沖縄海岸国定公園である残波岬です。 写真を撮影に行った日は灯台の近くで工事をしていました。
沖縄海岸国定公園は辺戸岬から残波岬までに至るサンゴ礁に縁どられた西海岸と、固有の生物相をもつ北部山林地域の一部、および多島海の風景と海中景観が美しい慶良間諸島からなります。
台風で動いたという大きな岩とその説明書き。
1990年10月6日の台風21号の猛烈な風で作られた大波で、目の前にある推定50~94トンの岩が動いたそうです。
自然の驚異を侮るなと書かれていますが、小さい頃は台風が来たら遊びに行けると喜んだ記憶があります。 映画館なんかは混んでいたような記憶が…(笑)
すぐ近くには拝所があるますが、園内の看板には説明も名称も載っていません。
供えられているお酒は、やはり「残波」でした。
こちらは潮吹穴の碑。 これは糸満市喜屋武にある大里グスクにも似たようなものが有りました。
残波岬は戦後は米軍の射爆場になったため、地形や自然が破壊されました。
昭和49年に返還された後に、沖縄電力が読谷村と共同で環境整備を行ったそうです。
こちらは泰期の像。
琉球初の進貢士となり、明(当時の中国)の記録に8回も名前が出てくる人物です。
天女の子供という中山王・察度の異母弟とも言われており、兄と共に中国の正史に名前が出てくる沖縄史上最初の人物。
泰期
生没年不詳 察度とともに中国の正史に出てくる沖縄史上最初の人物。 「明史」の1372年の項に、〈中山王察度弟の泰期等を遣わして入朝した〉とあるのがそれで、使者として「明史」に3回、「明実録」には5回出てくるが、最初の遣明使であった以外には何もわかっていない。 しかし〈読谷山(よみたむざ)のおもろ〉の〈宇座の泰期思いや、唐商、流行らちへ〉から、彼が読谷山(現読谷)宇座出身の大貿易家であったことはほぼ推量できよう。
沖縄大百科事典より
お兄さん(お姉さんもいる)の生みの親は天女で、自分の生みの親は普通のウチナーンチュと言われたら嫌だったろうなぁ。
残波ビーチも近くに在ります。
コンベンションビューローのホームページで、アクセスするには読谷バスターミナル下車徒歩約30分(!)と書かれています。
鳳バスに乗り換えた方が無難です…。
参考文献:沖縄大百科事典 (沖縄タイムス社)
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