2013年8月31日土曜日

津嘉山 (TSUKAZAN)

Tukazan Busstop

 南風原町津嘉山(地図)です。只今、区画整理の真っ只中です。

 こちらは、東風平線(34番)、志多伯線(35番)、百名線(50番・51番)、前川線(54番)、玉泉洞線(83番)、津嘉山線(100番)、糸満おもろまち線(200番)、志多伯おもろまち線(235番)、国立劇場おきなわ(334番)が停まります。 変更等があるのでバス会社に確認してください。


Tukazan 2

 向こうの奥に見えるのが津嘉山自動車学校。


追記:志喜屋線(53番)は廃線になりました。



Tukazan 3

 しばらく見ないうちに交差点付近に回転寿司の店が建っていてビックリしました。



Tukazan 4

 ここ津嘉山出身の有名人に、賭博師で篤志家という儀保蒲太(ぎぼかまた)がいます。

儀保蒲太
 ブラジル初回移民、賭博師。 南風原間切津嘉山に生まれる。 南風原尋常小学校卒業後、1908年、12歳8ヵ月で家長金城善助の構成家族(10人)の一員(従弟)としてブラジルに渡航。笠戸丸の船中売店係になり、〈一発!一発!〉と菓子を売り歩いたので、綽名を〈イッパチ〉とつけられ、生涯その愛称で親しまれた。
 サンパウロ州フロレスタコーヒー耕地に入植、年少のため水汲みや山羊の乳搾りに従事、ほどなく農園を逃亡、サンパウロ市へ出る。 同郷の親友金城山戸と職を捜すが、このとき見つけた仕事が2人の人生を大きく左右することになる。 山戸が歯科医の奉公人から出世し、日本移民初の歯科医師として活躍したのにたいして、蒲太は賭博場の給仕となったため、賭博に人生をかけるようになり、22歳のときにはすでにシルバの名でブラジルの博奕界で花形的存在になっていた。
 1918年(一説19年)にはマットグロッソ州カンポグランデ市に落ち着き、賭博場を経営、師団の将官や政治家を相手に繁盛。 福岡県人の江崎(?)キサオ(一説オルガ)と結婚、幸福な家庭を築いていたが、1935年結核のため病没。 性格は無邪気・侠気・感激性が強く、〈博打の天才・神様〉といわれ、エピソードも多い。
沖縄大百科事典より

 彼は稼いだお金を困窮する沖縄県人に分け与えていたそうです。



Tukazan 5



次のバス停は… (画像をクリックすると移動します)

Kawashimobaru

Front of the Syonan Sugar factory

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