国頭村宜名真にあった「茅打バンタ」のバス停留所です。
先月末まで実証実験で運行していたバスのため、現在はやっていませんので悪しからずご了承ください。
国頭村は去年の12月から二次交通実証実験バスを運行していましたが、先月末までの期間限定のため現在は終了しております。
駐車場近くにある顕彰碑。
この先にある「戻る道」の開削した當山正堅氏のものです。
当山正堅
教育者で社会事業家。 沖縄師範学校卒後、辺戸小学校長、宮古、島尻の各郡視学、県視学を務める。 救らい運動にも献身。 戦後は沖縄諮詢 会委員。 民政府文化部長。
(沖縄コンパクト事典:琉球新報社・編)
「狭い峡谷を広げただけの人だろ?」と思っていましたが、調べるとたくさんの功績がある方だと知って自分の無知さを思い知りました。
・26歳で辺戸小学校の校長になった際に「戻る道」の開削を群に要請、自力で行うことを条件に許可を得て住民と一緒に完成させました。
・東風平小学校の校長のときに、謝花昇の功績をみんなに認知させました。
・恩納村長のときは恩納村歌を作詞。
・戦争末期、地区米軍司令官に恩納岳の掃討作戦前に嘆願して猶予をもらい、立てこもる日本兵の司令官を説得し投降させることで多くの日本兵の命を救いました。
・愛楽園の創設にかかわりました。
・那覇市牧志の「桜坂」の命名者。
「琉球新報ホームページ」、「沖縄大百科事典:沖縄タイムス社」を参考にしました。
戻る道
国頭村宜名真の背後にあり、岩の裂け目を通る約100mの険峻な狭道。 かつて道の中間に目印の旗を立て、道の途中で人が出会うと先に旗にたどりついた者が通過する権利を取得し、遅れた者は道を譲り、戻らねばならなかったことに由来。
(沖縄大百科事典:沖縄タイムス社より)
「沖縄公文書館所蔵」
たぶん、同じところで撮影したと思われる写真を見つけました。
日付は1945年5月。
「沖縄公文書館所蔵」
次のバス停留所は…
大石林山 (DAISEKIRINZAN)
宜名真共同店
「宜名真共同店」もお願いします。
返信削除コメントありがとうございます。
削除近いうちに掲載できると思いますので、しばらくお待ちください。
どう致しまして。
返信削除