2024年3月27日水曜日

JAおきなわ旧伊波支店前 (J A OKINAWA KYU IHA SHITEN MAE)

 

 うるま市石川伊波にある「JAおきなわ旧伊波支店前」のバス停留所です。

 こちらは、うるま市の公共施設間連絡バスが停まります。 情報は掲載時のものなので、予めご了承ください。



J A OKINAWA KYU IHA SHITEN MAE 1

 うるま市石川伊波の市道石川35号線(通称・消防坂通り)沿いに、JAおきなわ伊波支店(地図)があります。 そのそばにバス停留所があります。

 

J A OKINAWA KYU IHA SHITEN MAE 2

 すぐ隣にある伊波小学校。

 1894年に美越小学校の伊波分校が独立して伊波尋常小学校となりました。

 「福祉の母」と称された島マスさんは同校の出身です。 当時の伊波尋常小学校には高等科がなかったため、約6kmも離れた美里尋常高等小学校まで毎日通学していたそうです。


島マス
 沖縄の社会福祉事業の草分け。 三十年間教員を務め、胡座児童保護所、女子ホームを設立。 中部地区社協事務局長、県社協理事、県更生保護婦人会長など歴任。 沖縄市には島マス塾がある。
沖縄コンパクト事典 琉球新報社編より


島 マス
 沖縄の社会福祉に大きな足跡を残した島マスは、1900年に美里間切伊波村(現うるま市)で生まれました。沖縄県女子師範学校を卒業後、小学校の訓導(教師)となりましたが、1945年の沖縄戦がマスの人生を一変させました。最愛の子供を戦争で亡くしたマスは、戦後、再び教鞭をとりました。
 49歳で教員生活に終止符を打ち、米民政府より越来村の厚生員に任命されたマスは、米兵相手の商売をする特殊婦人の問題や青少年の非行や犯罪へ対応しながら、「胡差児童保護所」や「コザ女子ホーム」を開設します。二つの施設は、後に琉球政府の管轄へと移管されますが、それは、児童福祉法などの制度がない時代に、マスの情熱と行動、そして彼女を信頼し支えた人々がなしえた福祉の姿でした。
 その後、58歳の年に、中部地区社会福祉協議会の事務局長に就任し、組織をつくり、人を育て、精力的に福祉活動を展開しました。 マスは、88年の生涯を閉じるまで、ひたすら、「チムグリサン(心が痛む)」の心を信条とし、他人の苦悩や悲しみと寄り添い続けたのです。
沖縄市の偉人(沖縄市ホームページより)

 

 美里尋常小学校は現在の美里小学校より北側に位置する「美さと児童園」の場所にあったそうですが、それでも子供の足ではかなり遠い距離です。



J A OKINAWA KYU IHA SHITEN MAE 3

J A OKINAWA KYU IHA SHITEN MAE 4

うるま市公共施設間連絡バス(うるま市ホームページ)


 うるま市にて実証実験中のコミュニティバスです。

 無料で利用できますが、平日のみの運行となっています。



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次のバス停留所は…


山城公民館前


サンエー石川シティ

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