南風原町宮平のバス停留所です。
こちらは、泡瀬東線(30番)、那覇新開線(37番)、志喜屋線(38番)、南城線(39番)、城間線(191番)、斎場御嶽線(338番)、南城~結の街線(339番)が停まります。 ご利用の際は変更等があるのでバス会社に確認してください。
方言名は「なーでーら」。
追記:つきしろの街線(41番)は2022年4月に廃止になりました。
丸大の横の道。
軽便鉄道の線路跡がそのまま道路になっています。
公園内には善綱(よこつな)御嶽とそのお墓があります。
善綱御嶽
ウガンヌメーとも呼ばれ、宮平の村づくりをした善綱大屋子(よこつなうふやく)が居住したと言い伝えられる善綱御嶽があり、後方にそのお墓があります。1949年、戦災で破壊された御嶽3ヶ所、字内の拝所9ヶ所、カー(井戸)5ヶ所の神々を一ヶ所に集めウカミヤーを仮安置しました。
宮平のパンフレット 南風原平和ガイドの会より
善綱嶽伝説
宮平に善綱大屋子という農夫がいました。 大屋子は余暇に漁に行きました。 ある日漁に出ると大きな亀が海中から浮かび上がり、驚いていると、どこからともなく婦人が現れ「汝亀を背負うて家に帰られよ」と言って消えてしまいました。 大屋子はさっそく亀を背負って家路を急ぎましたが、途中亀が暴れ出し背を噛み大怪我をしてしまいました。 気絶した大屋子は倒れたまま息絶えてしまい、村人は嘆き悲しみ手厚く葬りました。 死後3日後墓参りの際、棺を開けてみると遺体はなくなっていました。 驚いていると「大屋子は死んだのではなく、神に召されニライカナイにいったのだ」という天の声が聞こえてきました。 それから村人は大屋子の屋敷を「タキ」として祀るようになりました。
宮平のパンフレット 南風原平和ガイドの会より
善綱大屋子の墓。
善綱大屋子は彼の祖父が英祖王の弟にあたり、14世紀に実在した人物のようです。(南風原町の歴史散歩より)
善綱御嶽。
この建物の後ろ辺りに軽便鉄道の宮平駅があったようです。
善綱ガー。
善綱井戸(ヨコツナガー)
善綱御嶽の盗難にあります。 おいしい水が湧き、干ばつでも枯れることなくウブガー(産井戸)やワカミジ(若水)として利用されてきました。 神ガーとも言われていました。
宮平のパンフレット 南風原平和ガイドの会より
次のバス停留所は…
南部保健所前
当間原
次も更新してください。
返信削除コメントありがとうございます。
削除なるべく更新頻度を上げるよう頑張ります。
どう致しまして。
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