2021年10月15日金曜日

宮平 (MIYAHIRA)

"MIYAHIRA" Bus stop

 南風原町宮平のバス停留所です。

 こちらは、泡瀬東線(30番)、那覇新開線(37番)、志喜屋線(38番)、南城線(39番)、城間線(191番)、斎場御嶽線(338番)、南城~結の街線(339番)が停まります。 ご利用の際は変更等があるのでバス会社に確認してください。



Miyahira 1

Miyahira 2

 国道329号線の宮平と与那覇、その二つの交差点の間にバス停留所(地図)があります。

 方言名は「なーでーら」。


追記:つきしろの街線(41番)は2022年4月に廃止になりました。



Miyahira 3

Miyahira 4

 丸大の横の道。

 軽便鉄道の線路跡がそのまま道路になっています。



Miyahira 5

Miyahira 6

Miyahira 7

Miyahira 8

Miyahira 9

Miyahira 10

 公園内には善綱(よこつな)御嶽とそのお墓があります。

善綱御嶽
 ウガンヌメーとも呼ばれ、宮平の村づくりをした善綱大屋子(よこつなうふやく)が居住したと言い伝えられる善綱御嶽があり、後方にそのお墓があります。1949年、戦災で破壊された御嶽3ヶ所、字内の拝所9ヶ所、カー(井戸)5ヶ所の神々を一ヶ所に集めウカミヤーを仮安置しました。
宮平のパンフレット 南風原平和ガイドの会より

善綱嶽伝説
 宮平に善綱大屋子という農夫がいました。 大屋子は余暇に漁に行きました。 ある日漁に出ると大きな亀が海中から浮かび上がり、驚いていると、どこからともなく婦人が現れ「汝亀を背負うて家に帰られよ」と言って消えてしまいました。 大屋子はさっそく亀を背負って家路を急ぎましたが、途中亀が暴れ出し背を噛み大怪我をしてしまいました。 気絶した大屋子は倒れたまま息絶えてしまい、村人は嘆き悲しみ手厚く葬りました。 死後3日後墓参りの際、棺を開けてみると遺体はなくなっていました。 驚いていると「大屋子は死んだのではなく、神に召されニライカナイにいったのだ」という天の声が聞こえてきました。 それから村人は大屋子の屋敷を「タキ」として祀るようになりました。
宮平のパンフレット 南風原平和ガイドの会より


Miyahira 11

 善綱大屋子の墓。

 善綱大屋子は彼の祖父が英祖王の弟にあたり、14世紀に実在した人物のようです。(南風原町の歴史散歩より)



Miyahira 12

 善綱御嶽。

 この建物の後ろ辺りに軽便鉄道の宮平駅があったようです。



Miyahira 13

Miyahira 14

Miyahira 15

Miyahira 16

 善綱ガー。

善綱井戸(ヨコツナガー)
 善綱御嶽の盗難にあります。 おいしい水が湧き、干ばつでも枯れることなくウブガー(産井戸)やワカミジ(若水)として利用されてきました。 神ガーとも言われていました。
宮平のパンフレット 南風原平和ガイドの会より



Miyahira 17

Miyahira 18


次のバス停留所は…


南部保健所前


当間原

3 件のコメント:

  1. 次も更新してください。

    返信削除
    返信
    1. コメントありがとうございます。
      なるべく更新頻度を上げるよう頑張ります。

      削除
  2. どう致しまして。

    返信削除

琉大北口 (RYUDAI-KITAGUCHI)

   琉球大学の敷地内にある「琉大北口」のバス停留所です。  こちらは中城村の護佐丸バスの伊集回り線、久場回り線、久場琉大線が停まります。 掲載している情報は公開日時点のものなので、バスなどをご利用される際は関係各所に確認してください。