那覇市樋川にある神原のバス停留所です。
こちらは識名牧志線(5番)、小禄石嶺線(9番)、寒川線(15番)、石嶺開南線(17番)、泡瀬東線(30番)、泡瀬西線(31番)、牧港線(55番)、浦添線(56番)、知花線(90番)、琉大線(97番・98番)、国体道路線(112番)、普天間空港線(125番)が停まります。 変更等があるのでご利用の際は、バス会社に確認してください。
ひめゆり通りの神原小学校前(地図)にバス停留所はあります。
神原小学校です。
撮影したのは何年か前なので景色が若干違います。 悪しからずご容赦ください。
那覇市立神原小学校1958年9月27日 - 那覇教育区立与儀小学校として設置認可。1959年3月30日 - 那覇教育区立神原小学校に改称認可。1959年4月1日 - 開校(児童1757名、36学級)。校舎未完のため、与儀小学校・壺屋小学校・開南小学校に分散して授業を行った。1959年9月15日 - 開校式。3校での分散授業を終了。1960年3月1日 - 当校の分校として那覇教育区立神原小学校分教場(現、沖縄県立那覇特別支援学校)が開校。1961年9月8日 - 校歌発表。1972年 - 沖縄復帰により、那覇市立神原小学校と改称。Wikipediaより
神原小学校出身の人に学校の思い出を聞くと、プールの上に体育館があり晴天でも太陽の恩恵を受けず、夏でも物凄く寒かったとよく聞きます。
「沖縄県公文書館所蔵」
沖縄県公文書館のホームページで見つけました。 1963年に撮影されたものです。
ガーブ川を挟んで隣に神原中学校があります。
那覇市立神原中学校1961年7月- 那覇教育区立与儀中学校として認可、那覇中学校・上山中学校・真和志中学校・寄宮中学校の各校から分離し開校。29学級、生徒数1453名。8月- 那覇教育区立神原中学校に校名変更。11月- 校章制定。1966年2月- 校歌制定。1972年 - 沖縄復帰により、那覇市立神原小学校と改称。Wikipediaより
「沖縄県公文書館所蔵」
「沖縄県公文書館所蔵」
「沖縄県公文書館所蔵」
「沖縄県公文書館所蔵」
1964年の神原中学校運動場除幕式の写真が公文書館にありました。
学校周辺に何もないのが印象的です。
樋川地名は、城岳東麓にあった有名な王樋川による。
もとは真和志村与儀の一部。 行政区としては、昭和3年に成立。 地籍字としての成立年度は未詳であるが、第二次世界大戦後の事と思われる。 昭和56年に樋川1~2丁目となる。
角川日本地名辞典より
この写真左側は与儀公園。
次のバス停留所は…
与儀十字路
与儀十字路[公園側]
壺屋
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