2020年12月18日金曜日

大橋 (OHASHI)

"OHASHI" Bus Stop

 那覇市壷川にある、大橋のバス停留所です。

 こちらは安岡宇栄原線(11番)、石嶺開南線(17番)、平和台安謝線(101番)が停まります。 変更等があるのでご利用の際はバス会社に確認してください。


OHASHI 1

OHASHI 2

 古波蔵交差点から那覇大橋に向かう県道221号線沿いにバス停留所(地図)はあります。



OHASHI 3

 JAおきなわ本店が建つ前に撮影した写真を使っているので、違和感があるかと思いますが悪しからずご了承ください。



OASHI a

OHASHI b

 この先に那覇大橋があります。

那覇大橋 
 那覇市南部、國場川下流の漫湖に架かる橋。 那覇市古波蔵3丁目と鏡原町を結ぶ鋼道路橋で、県道那覇内環状線が通る。 橋長140.4m・幅員18m。 昭和44年着工、翌45年7月に完成した。
角川日本地名大辞典より



NAHA OHASHI 1970
「沖縄県公文書館所蔵」

 1970年10月8日に行われた那覇大橋落成式の様子。



NAHA OHASHI 1970 2
「沖縄県公文書館所蔵」

 ゆいレールも那覇東バイパスもありません。



OHASHI c

 上の写真右側にある県営大橋市街地住宅の建っている場所は、かつて「赤畑」と呼ばれる小丘があったようです。

赤畑
 かつて漫湖(まんこ)に突き出ていた小丘の名称。この付近は赤畑原(あかばたきばる)といい、真和志村字壺川(まわしそんあざつぼがわ)(現那覇市壺川)の小字地名であった。
 丘の上には松が生えており、奥武山(おうのやま)・ガーナー森(ムイ)とともに漫湖の景観に趣を与えていたという(『南島風土記(なんとうふどき)』)。また丘の中腹は墓が点在し、平地は、対岸の小禄村(おろくそん)の人々が耕すイ草(いぐさ)の畑であった(『那覇市史』2-7)。
 沖縄戦後、急激な人口増加に対応するため、1957年(昭和32)に真和志市(まわしし)は琉球政府(りゅうきゅうせいふ)に対し、赤畑から南東側に広がる兼久原(かねくばる)地先一帯(現古蔵(こくら)中学校に至る国道507号線より漫湖側)約55,000坪余の埋立申請を行った。同年12月の真和志市との合併により那覇市は、1959年(昭和34)に埋立を行い、工場用地・宅地として区画整理したが、現在、工業用地のほとんどが漫湖公園となっている。
 一方、赤畑から北西側は、1959年にベニヤ板製造工場が建設され、漫湖にはベニヤ板用資材の丸太が大量に浮かんでいた。1978年(昭和53)、ベニヤ工場の整理統合により、赤畑は削られ、一帯は埋立・区画整理が行われ、住宅地となった。
 なお、赤畑から小禄地域に架かる那覇大橋は、1970年(昭和45)7月に開通した。



OHASHI d

OHASHI e

OHASHI f

OHASHI 4

 この写真右側辺りに日本専売公社の煙草工場?倉庫?があったはずと、曖昧な記憶があります。 間違っていたらごめんなさい。



OHASHI 5

OHASHI 6

 写真右側に見えるのは漫湖公園。

 イギリス人女性講師を殺害した犯人が、逃亡している一時期に漫湖公園で潜伏していたというニュースを見た時はビックリしたのを覚えています。

 昔は写真左側にはベニヤ工場が軒を連ねていましたが、団地やマンションに代わってしまいました。



次のバス停留所は…

奥武山公園駅前(ONOYAMA-KOEN EKI MAE)
Onoyama-koen Station before


壷川

2 件のコメント:

  1. 次も更新してください。
    琉球バス交通の50番の南城市役所~百名入口バス停、83番の公園前~国内線旅客ターミナル前も追加してください。

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    1. コメントありがとうございます。
      晴れの日のタイミングを見計らってさつえいしてまいります。

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福原 (FUKUHARA)

   南城市大里古堅にある「福原」のバス停留所です。  こちらは、糸満新里線(36番)、南城市のNバス(C1・C2・G)が停まります。 記載されている情報は公開時のものなので、変更などに対応していない場合は情報が違う場合があります。 ご了承ください。