那覇市壷川にある、大橋のバス停留所です。
こちらは安岡宇栄原線(11番)、石嶺開南線(17番)、平和台安謝線(101番)が停まります。 変更等があるのでご利用の際はバス会社に確認してください。
古波蔵交差点から那覇大橋に向かう県道221号線沿いにバス停留所(地図)はあります。
JAおきなわ本店が建つ前に撮影した写真を使っているので、違和感があるかと思いますが悪しからずご了承ください。
この先に那覇大橋があります。
那覇大橋那覇市南部、國場川下流の漫湖に架かる橋。 那覇市古波蔵3丁目と鏡原町を結ぶ鋼道路橋で、県道那覇内環状線が通る。 橋長140.4m・幅員18m。 昭和44年着工、翌45年7月に完成した。角川日本地名大辞典より
「沖縄県公文書館所蔵」
1970年10月8日に行われた那覇大橋落成式の様子。
「沖縄県公文書館所蔵」
ゆいレールも那覇東バイパスもありません。
上の写真右側にある県営大橋市街地住宅の建っている場所は、かつて「赤畑」と呼ばれる小丘があったようです。
赤畑かつて漫湖(まんこ)に突き出ていた小丘の名称。この付近は赤畑原(あかばたきばる)といい、真和志村字壺川(まわしそんあざつぼがわ)(現那覇市壺川)の小字地名であった。丘の上には松が生えており、奥武山(おうのやま)・ガーナー森(ムイ)とともに漫湖の景観に趣を与えていたという(『南島風土記(なんとうふどき)』)。また丘の中腹は墓が点在し、平地は、対岸の小禄村(おろくそん)の人々が耕すイ草(いぐさ)の畑であった(『那覇市史』2-7)。沖縄戦後、急激な人口増加に対応するため、1957年(昭和32)に真和志市(まわしし)は琉球政府(りゅうきゅうせいふ)に対し、赤畑から南東側に広がる兼久原(かねくばる)地先一帯(現古蔵(こくら)中学校に至る国道507号線より漫湖側)約55,000坪余の埋立申請を行った。同年12月の真和志市との合併により那覇市は、1959年(昭和34)に埋立を行い、工場用地・宅地として区画整理したが、現在、工業用地のほとんどが漫湖公園となっている。一方、赤畑から北西側は、1959年にベニヤ板製造工場が建設され、漫湖にはベニヤ板用資材の丸太が大量に浮かんでいた。1978年(昭和53)、ベニヤ工場の整理統合により、赤畑は削られ、一帯は埋立・区画整理が行われ、住宅地となった。なお、赤畑から小禄地域に架かる那覇大橋は、1970年(昭和45)7月に開通した。
この写真右側辺りに日本専売公社の煙草工場?倉庫?があったはずと、曖昧な記憶があります。 間違っていたらごめんなさい。
写真右側に見えるのは漫湖公園。
イギリス人女性講師を殺害した犯人が、逃亡している一時期に漫湖公園で潜伏していたというニュースを見た時はビックリしたのを覚えています。
昔は写真左側にはベニヤ工場が軒を連ねていましたが、団地やマンションに代わってしまいました。
次のバス停留所は…
奥武山公園駅前(ONOYAMA-KOEN EKI MAE)
壷川
次も更新してください。
返信削除琉球バス交通の50番の南城市役所~百名入口バス停、83番の公園前~国内線旅客ターミナル前も追加してください。
コメントありがとうございます。
削除晴れの日のタイミングを見計らってさつえいしてまいります。