沖縄市美里にある美里公民館(地図)です。
こちらは沖縄市循環バス(中部ルート)のバスが停まります。 変更等があるのでご利用の際はバス会社に確認してください。
国道329号線の美里(南)を北上し、次の信号を右の市道に入った先にバス停留所があります。
バス停留所の名称にもなっている公民館がすぐ傍にあります。
砂糖きび圧搾車が展示されている。
砂糖きび圧搾車について砂糖車(サーターグルマ)甘藷圧搾機のこと。 木製の砂糖車から石製へ。 1882年以降は、鉄製の圧搾機が広く使用されるようになった。
在来製糖場17世紀沖縄に製糖技術導入されてから、一部は昭和10年代まで存続した製糖場の形態。 沖縄大百科事典
1937年、字西原(現在字美里)に東組(あがりぐみ)製糖工場、西組(いりーぐみ)製糖工場が設立されて稼働を始めると、字内にあった10余りの在来製糖場(サーターヤー)は、その役目を終えた。 註、ここに組立てたサーターグルマ3個の上下軸はコンクリート板に通してあるが、実際には木製板であり、もっと複雑な形態になっていた。近くの案内板より
公民館の後ろにある「セークガー」。
セークガー
セークガーは、1895年生まれの地元の古老が物心ついた時にはあったといわれています。 ヒージャーガーと同じく湧水を樋でひいて利用する形態の井戸ですが、なぜセークガーと呼ばれているのか、まだ分かっていません。
昭和初期までは住民の飲料水として用いられており、洗濯場としても毎日賑わっていました。 現在では、公民館などで利用されています。近くにあった案内板より
村屋の沿革
古老の語るところによると、村屋(ムラヤー)が最初に建てられたのは、1914年頃と言われている。 文化財に指定された建物(村屋、公民館)は、1954年に第4代目村屋(公民館)として、登川信治棟梁をはじめ美里大工の手で建設されました。 坪数42.75坪、建築費坪単価1万円の427,500円。 資金は銀行借入、寄付金、区費等で賄われた。 ペルーの同胞からも67,230円の寄付とメッセージが届いた事を祝賀会で披露された。近くにあった石板より
セークガーや村屋の話を伺ったときの、古老の年齢が気になる。(記憶力すげー!)
こちらは銀山御嶽(地図)。
「イリーアタドウ山」と書かれた看板の先にある。
僕には「丘」に見える。 ケチをつけている訳ではないです。
シチャヌウカー。
銀山御嶽の裏手にあります。
右手のブロック塀に「ヒージャーガー池跡」とある。
ブロック塀の中が池跡なのかな? 確認不足でスミマセン。
こちらは「ヒージャーガー」です。
ヒージャーガー
ヒージャーガーとは、湧水を樋でひいて利用する形態の井戸のことです。 1895年生まれの古老が物心ついた時にはあったといわれています。 ヒージャーガーは、子どもが誕生したときに産湯に使う水を汲むためのウブガー(産井)として利用されていました。 また、ウマチー行事の際にも集落の有志が拝んでいました。
昭和初期までは住民の飲料水として用いられており、洗濯場としても毎日賑わっていました。 さらに、下流では水田の稲苗床の水として利用されました。近くの案内板より
次のバス停留所は…
銀天街
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