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糸満市与座のバス停留所です。
「与座」のバス停留所は二ヵ所ありますので、ご利用の際はご注意ください。 当ブログの情報が変更になっている場合がありますので、利用される場合は運営会社のホームページなどをご確認ください。
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糸満市与座のバス停留所は二か所あります。
上の写真は県道77号線沿い(地図)のものです。 こちらは糸満新里線(36番)が停まりますが、平日朝と夕方の便はもう一つの違う停留所に停まるのでご注意ください。
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こちらは与座交差点。
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こちらは県道52号線沿い(地図)の、もう一つの「与座」停留所。
ここに停まるバスは東風平線(34番)、糸満新里線(36番)、国立劇場おきなわ線(334番)、いとちゃんmini(T‐25)があります。
上でも書きましたが、糸満新里線は平日の朝と夕方の便がここを経由します。(学校が春・夏・冬休みの時は除く)
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この先に行くと「上与座」のバス停留所があります。 カーブ途中から右手に入った先に与座ガー(地図)があります。

こちらは旧高嶺製糖工場(地図)。 道沿いにあるのですぐ見つかります。
高嶺製糖工場跡
高嶺製糖工場は、1912年に建設された沖縄初の機械製糖工場です。 1914年から非製糖期には与座ガーの湧水を利用して製氷も行っていました。 工場敷地内の社宅には個別の電気が引かれていたほか、共同浴場・理容室・ビリヤード場・テニスコートなどの共用施設もあり、一つの字のようでした。
沖縄戦当時は、日本軍の命令でアルコール製造も行われていました。 工場の煙突は、爆撃の目標になるとの理由で日本軍によって破壊され、工場施設は地上戦により門柱と糖蜜タンク以外は全て破壊されました。 糖蜜タンクには所々に当時の銃弾跡が残っています。
戦後、与座ガーが米軍のワーラーポイント(取水所)となり、住民の立ち入りが禁止されたため、住民は旧製糖工場の跡地に居住し、製糖工場の経営会社と土地購入の交渉を行い、工場跡地を39坪ずつに区切り、希望者はくじ引きで土地を購入しました。
高嶺製糖工場跡は、日本の近代化に貢献した施設として評価され、経済産業省から「近代化産業遺産」」に認定されています。
(案内板より 一部修正しました)
県道53号線沿いの停留所付近に、ビリヤード場や浴場などがあったようです。(『空中写真を用いた戦前期沖縄における製糖工場と社宅の配置図の復元』(PDF)より 辻原万規彦・今村仁美)

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集落を抜けていくと、県道77号線が見えてくる。
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県道から見える位置に、高嶺製糖工場の正門(地図)が残っています。
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次のバス停留所は…
豊原
大里 (OZATO)
上与座
「豊原」もお願いします。
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