.webp)
那覇市おもろまちにある「ハローワーク前」のバス停留所です。
こちらは新川おもろまち線(4番)が停まります。 載せている情報が変更になる場合がありますので、ご利用の際はご注意ください。
.webp)
.webp)
.webp)
バス停留所は県道251号線のハローワークの前(地図)にあります。
バスは片側の車線にしかなく、次の行先地は「崇元寺東」になります(「おもろまち一丁目」には行きません)。
.webp)
バス停留所のそばにある沖縄職業総合庁舎です。
「ハローワーク」は公共職業安定所の愛称として、1990年から活用されています。
.webp)
右側に見えるホテルはザ・ナハテラズ。
現在は西原町にあるアドベンチストメディカルセンターがもともと建っていました。
.webp)
.webp)
.webp)
.webp)
.webp)
陸橋のたもとにある神良御川(カンラガー)。
.webp)
.webp)
.webp)
こちらの道は那覇市上下水道局側へと抜けることができます。
.webp)
.webp)
こちらは行き止まりになっています。
.webp)
オランダ屋敷跡
日本メソジスト教会の外国人宣教師の屋敷跡。 かつて沖縄では欧米人のことを「ウランダー」(オランダ人)と呼んだことから、その名が付いた。
沖縄におけるメソジスト教会の本格的な布教は1892年、久米に礼拝堂が開かれたことに始まる。 1906年にアメリカ人ヘンリー・B・シュワルツ博士(1862~1945)一家が派遣され、布教・伝道を行った。 翌年、シュワルツは安里の高台に居を設け、那覇・首里の教会で活動するとともに、沖縄県立中学校(後の県立第一中学、現首里高校)で英語を教えた。 シュワルツの屋敷では、英語聖書研究会も開かれ、師範学校や中学校の生徒も出入りしたという。
1911年、シュワルツ一家の離沖に伴い、後任にアメリカ人アール・R・ブール宣教師(1876~1974)夫妻が着任した。 1913年までのわずかな滞在であったが、離任後も沖縄との関係を持ち、泊外人墓地の修復や、護国寺にあるベッテルハイム記念碑建立に尽力した。 また、シュワルツやブールは、伊波普猷ら沖縄の知識人との交流があった。
オランダ屋敷は、その後メソジスト教会信者で小沢書店店主小沢朝蔵(おざわちょうぞう)、医師大久保孝三郎(おおくぼこうざぶろう)の管理に置かれたが、のちに開南中学校の寄宿舎・農園として使用された。 沖縄戦後、一帯は住宅地となった。
(那覇市歴史博物館より)
ここは沖縄で初めてトマトが栽培された場所でもあります。
オランダ屋敷跡は福岡県にもあります。 そこは本物のオランダ人が利用していました。

琉球大学附属図書館展示委員会より
玄関と窓を除けば、琉球の家です(違和感あり)。

琉球大学附属図書館展示委員会より
崇元寺東
0 件のコメント:
コメントを投稿