名護市運天原のバス停留所です。
こちらは屋我地線(72番)が停まります。 やんばる急行バスは売店前の県道側に停まります。
県道110号線沿いにある運天原共同売店横に、「運天原」のバス停留所(地図)があります。
注意:撮影日がバラバラなので違和感があるかと思いますが、予めご了承ください。
やんばる急行バスの「運天原共同売店付近」の停留所ですが、バス停留所の標識は立てていないようです。
同じように「古宇利大橋南詰展望所付近」や「古宇利大橋の真ん中付近」の停留所も標識は立っていません(大橋の真ん中に立てたら、怒られると思う)。
なので、やんばる急行バスを利用する場合は、手を挙げて意思表示しないと停まらないかもしれません。
やんばる急行バス 路線図(ホームページ)
運天原
運天原は、饒平名(ユピナ)の小字運天(ウンティン)・浜苗代(ハマナエシロ)・運堂(ウントー)と我部の大池(ウフチ)を合わせて、1931年に行政区として独立し、1951年に字運天原として分字した新しいムラである。
(『名護市史本編・9』より)
運天原は方言では「ウンティンブロ」といいます。
古宇利大橋向けとは逆方向に進むと「オランダ墓」への標識が見えて来ます。
先に進むと丁字路になっていますが、「オランダ墓」は右に進んでください。
間違って左に進むとこちらに来ます。
方向音痴の僕は期待通り、ここに来ました。
ここは「ペンガガチ」と呼ばれるところです。
昔は山原船が那覇や伊是名島、伊平屋島などへ出港していました。 また、今帰仁村方面への渡し船や山原船の造船所もありました。(『名護市史本編・9』より)
右に進むと運天原港に行きます。
2021年には貨物船が座礁しております。
こちらは「ガンヤー」。 昔の霊柩車である「ガン」が置いてあった場所。
綺麗なアーチ型なので、戦時中に使われた特殊魚雷艇の隠し場所をそのまま使っているのでは?と、勝手に想像しています(個人の感想です)。
こちらが「オランダ墓(地図)」。 名称は「オランダ墓」なのに、葬られているのは「フランス人」!で有名なお墓です。
オランダ墓
現在、名護市屋我地島運天原と国頭村宜名真の部落入口の2ヵ所にあることが知られている。 実際はオランダ人を葬った墓ではなく、屋我地島の2基の石塔墓は、1846年フランス艦船が運天港に寄港、その停泊中に病死した2人のフランス人を葬ったもの。 〈以下略〉
(『沖縄大百科事典』より)
ウランダー墓
ウランダー墓という墓名は、当時の沖縄の人が西洋人のことを「ウランダー」と呼んでいたことに由来します。
(案内板の説明より抜粋)
今の沖縄の人が西洋人を見て、国籍問わず「アメリカー」と呼ぶ感覚と同じです。
次のバス停留所は…
運天原入口
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