2023年1月31日火曜日

金城 (KANAGUSUKU)

"KANAGUSUKU" Bus stop

 那覇市小禄の国道331号線沿いにある「金城」のバス停留所です。

 こちらは、屋慶名線(27番)、コンベンションセンター線(32番)、南城線(39番)、北谷線(43番)、浦添線(56番)、赤嶺てだこ線(87番)、糸満線(89番)、浦添てだこ線(256番)が停まります。 ご利用の際は変更等があるのでバス会社に確認してください。


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 那覇市小禄の鏡水と金城の二つの交差点の間にバス停留所(地図)はあります。



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 こちらは陸上自衛隊・那覇駐屯地になります。



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 駐屯地のそばに「沖縄地方気象台跡」(地図)の案内があります。

沖縄地方気象台跡
 1927年に建てられた気象台跡。
 沖縄の気象観測は、1890年に那覇の松尾山(現那覇市松山公園付近)に、沖縄県立那覇二等測候所が設置されたことに始まる。同年7月1日より1日6回の観測が実施されたが、当初、那覇の人々は測候所の看板を見て、「那覇(人)を測る所」と思い、皆驚き逃げ帰ったという。
 1900年に那覇一等測候所に昇格し、1日24回の定時観測を行った。1917年には県立那覇測候所と改称した。1924年5月に失火により全焼したため、東京の中央気象台は測候所の国営化を要望し、同年に国立中央気象台付属沖縄測候所として再出発した。敷地は小禄村字鏡水名座原(おろくそんあざカガンジナーザバル)(通称ガジャンビラ高台)に約2,500坪の土地を買い上げ、1927年4月に庁舎及び無線塔2基の施設が完成した。無線塔の鉄塔は高さ約90mで、沖縄一の偉容を誇った。1932年に中央気象台沖縄支台、1939年には福岡管区沖縄地方気象台と改称された。
 1945年の沖縄戦で施設は全壊した。跡地は米軍基地となり、現在陸上自衛隊駐屯地となっている。また、戦後の気象観測は、1950年に米国軍政府のもとに琉球気象局が設置され、日本復帰後は沖縄気象台として、天久前原(あめくメーバル)(現那覇市天久)で観測を行ってきた。1987年に那覇市樋川の那覇第一合同庁舎に移り、現在に至っている。
那覇歴史博物館ホームページより

 天久前原は現在の天久台病院あたりになります。



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 バス停留所の近くにある大きな建物は沖縄産業支援センター(地図)です。



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 金城交差点に沖縄産業支援センターの入口があります。



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 こちらの胸像は沖縄県観光連盟会長を務めた宮里定三氏です。

 氏は1941年に沖縄初のホテルを建てた人物です。 波之上宮前にあったホテルは戦火で焼失しましたが、1951年に「沖縄ホテル」を那覇市大道で再開されています。
 

沖縄ホテルの歴史(ホームページ)



次のバス停留所は…
(画像をクリックすると移動します)

那覇西高校前 (NAHANISHI KOUKOU-MAE)
NAHANISHI KOUKOU-MAE



軍桟橋前 (GUNSANBASHI-MAE)
GUNSANBASHI-MAE

3 件のコメント:

  1. 「航空隊前」のバス停も後でお願いします。

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    1. コメントありがとうございます。
      「金城」と繋げていませんでした、すみません。

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  2. 大丈夫ですよ。ありがとうございます。

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琉大北口 (RYUDAI-KITAGUCHI)

   琉球大学の敷地内にある「琉大北口」のバス停留所です。  こちらは中城村の護佐丸バスの伊集回り線、久場回り線、久場琉大線が停まります。 掲載している情報は公開日時点のものなので、バスなどをご利用される際は関係各所に確認してください。