那覇市小禄の国道331号線沿いにある「金城」のバス停留所です。
こちらは、屋慶名線(27番)、コンベンションセンター線(32番)、南城線(39番)、北谷線(43番)、浦添線(56番)、赤嶺てだこ線(87番)、糸満線(89番)、浦添てだこ線(256番)が停まります。 ご利用の際は変更等があるのでバス会社に確認してください。
那覇市小禄の鏡水と金城の二つの交差点の間にバス停留所(地図)はあります。
こちらは陸上自衛隊・那覇駐屯地になります。
駐屯地のそばに「沖縄地方気象台跡」(地図)の案内があります。
沖縄地方気象台跡
1927年に建てられた気象台跡。
沖縄の気象観測は、1890年に那覇の松尾山(現那覇市松山公園付近)に、沖縄県立那覇二等測候所が設置されたことに始まる。同年7月1日より1日6回の観測が実施されたが、当初、那覇の人々は測候所の看板を見て、「那覇(人)を測る所」と思い、皆驚き逃げ帰ったという。
1900年に那覇一等測候所に昇格し、1日24回の定時観測を行った。1917年には県立那覇測候所と改称した。1924年5月に失火により全焼したため、東京の中央気象台は測候所の国営化を要望し、同年に国立中央気象台付属沖縄測候所として再出発した。敷地は小禄村字鏡水名座原(おろくそんあざカガンジナーザバル)(通称ガジャンビラ高台)に約2,500坪の土地を買い上げ、1927年4月に庁舎及び無線塔2基の施設が完成した。無線塔の鉄塔は高さ約90mで、沖縄一の偉容を誇った。1932年に中央気象台沖縄支台、1939年には福岡管区沖縄地方気象台と改称された。
1945年の沖縄戦で施設は全壊した。跡地は米軍基地となり、現在陸上自衛隊駐屯地となっている。また、戦後の気象観測は、1950年に米国軍政府のもとに琉球気象局が設置され、日本復帰後は沖縄気象台として、天久前原(あめくメーバル)(現那覇市天久)で観測を行ってきた。1987年に那覇市樋川の那覇第一合同庁舎に移り、現在に至っている。
那覇歴史博物館ホームページより
天久前原は現在の天久台病院あたりになります。
バス停留所の近くにある大きな建物は沖縄産業支援センター(地図)です。
金城交差点に沖縄産業支援センターの入口があります。
こちらの胸像は沖縄県観光連盟会長を務めた宮里定三氏です。
氏は1941年に沖縄初のホテルを建てた人物です。 波之上宮前にあったホテルは戦火で焼失しましたが、1951年に「沖縄ホテル」を那覇市大道で再開されています。
次のバス停留所は…
(画像をクリックすると移動します)
那覇西高校前 (NAHANISHI KOUKOU-MAE)
軍桟橋前 (GUNSANBASHI-MAE)
「航空隊前」のバス停も後でお願いします。
返信削除コメントありがとうございます。
削除「金城」と繋げていませんでした、すみません。
大丈夫ですよ。ありがとうございます。
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