北谷町北前にある「北前一丁目」のバス停留所です。
こちらは北谷町のコミュニティバス「C-BUS」の乗降場となっております。 路線バスの乗り場は別の場所にあるので、ご利用の際はお気を付けください。
北谷町北前の町道沿いにバス停留所(地図)はあります。
区域運行(デマンド型運行)とは?
事前予約に応じて、希望の時間に、希望のバス停から希望のバス停までを運行するものです。
路線運行は去年の6月で終了し、現在は区間運行の形態になっております。
町道安良波線まで来ました。
安良波公園です。
縦に長い海沿いの公園なのですが、公園南側のこの辺りには遊具などの施設はありません。 ハンビータウン近くまで行けば、色々な施設があります。
海の真ん中に見えるのはアラファヌシー。
アラファヌシー
屋取集落北谷ヌ前(現北前区)が拓ける安良波原の海岸線に突出した岩と、沖に連なる岩礁を併せてアラファヌシー、あるいはアラファリューグと称する。
『北谷町海岸・海域地名』には、「戦前、旧暦5月4日に供物(豚肉の煮たもの)を供え、先ず海岸線に突出した岩(メーヌシー)の下からナカヌシーを拝み、その後アラファバーリーをおこなった」とあるが、現在は、2月1日のニングヮチャー、5月4日の竜宮拝みに北谷ノロ殿内の家人らによる拝みが行われるのみである。
北谷町観光サイト はいさいちゃたんより
出典:国土地理院
こちらは1970年に撮られた空中写真です。
写真左にアラファヌシー、中央に発電船ジャコナ号、そしてハンビー飛行場が写っています
琉球列島米国民政府「今日の琉球(14巻1号)」より
ジャコナ号は1919年に進水した貨物船。 1930年に発電船として改造され、アメリカ本国で電力需要を補っていましたが、戦争船舶管理局に引き渡されて利用されました。 戦争後には軍に使用され、ハワイ・韓国・沖縄に電力を供給してきましたが、1971年にフィリピンのバイヤーに売却されたようです。(Wikipediaより抜粋)
船がまかなった電力需要
1954年(昭和29)、那覇市泉崎に電力供給会社として、琉球電力公社がUSCARの一機関として設立されます。米軍の余剰電力は民間にも供給されましたが、住民の需要を満たせる量ではありませんでした。その上、基地拡張と民間地域の電化が進み、電力需要が急速に伸張したことで、牧港発電所は稼働開始から2年で早くも供給に不安が生じます。追加の発電設備として、米軍は1955年(昭和30)に、韓国に係留してあった発電船ジャコナ号(出力2万kw)を、翌1956年(昭和31)には、同インピーダンス号(出力3万kw)を那覇軍港へ曳航し、電力不足へ対応します。
さらに1967年(昭和42)、発電船インダクタンス号(出力3万kw)が米国フロリダから曳航され、インピーダンス号横に併置されました。1965年(昭和40)、金武村(当時)に金武火力発電所が完成、運転を開始します。
沖縄公文書館 写真展「USCARの時代」第3回より
那覇に係留していたジャコナ号が、いつ北谷に来たのか調べられませんでした。
公文書館所蔵
近くの路線バスの停留所
北前一丁目 (KITAMAE ITCHOME)
「久良波」バス停もお願いします。
返信削除コメントありがとうございます。
削除久良波、壊れたハードディスクにあるため少しお時間がかかります。もうしばらくお待ちくださいませ。
どう致しまして。
返信削除どう致しまして。
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