うるま市勝連南風原の勝連城跡前(地図)です。
こちらは、与勝線(52番)、前原線(61番)が通過します。
バス停留所の名称にあるように、世界遺産である勝連城跡の目の前にあります。
正面に見えるのは勝連団地の給水塔。
勝連城跡。
2000年に世界遺産登録された、15世紀の琉球で活躍した英雄「阿麻和利(あまわり)」の居住した城です。
すぐそばにある勝連城跡休憩所。
年中無休で、開館時間は9時から18時で入館は無料なので、買い物やトイレなどを利用するついでに覗くのも良いのかもしれません。
勝連城跡で出土した古銭や陶磁器の欠片などが展示されています。 奥にはうるま市の特産品なども扱ったショップがあります。
こちらで鎮座されているのは「東江ツル」おばぁ。
伊計島で開催される「イチハナリアートプロジェクト」に出品された江藤望さんの作品。
彼女はキャンペーンガールとして色々な場所に引っ張りだこらしく、今日は偶然(?)こちらまで出張にいらしてました。
ここに入ってきたとき、最初は彼女に全然気づきませんでした。 生気の無い彼女を見た時に思わず「昼間から見てはいけないヤツを見てしまった!」と目を逸らしたチキン野郎は僕です。
休憩所の前の道路を渡り、いよいよ勝連城跡に向かいます。
城の手前の付近一帯はかつては湿地帯で、騒乱の時代には侵入者の行く手を阻む防御ラインとして機能し、平時においては農地として利用されていたほど水が豊かな地だったそうです。
勝連城跡です。
初代城主は英祖王系の大成王の五男。 その9代目が茂知附(もちづき)按司ですが、彼は酒色に溺れ圧政を敷いたために民衆の反感を買い、人々の信頼が厚い阿麻和利がこれを倒して10代目の城主になりました。
こちらは、「仲間ヌウカー」。 この地域で鍛冶屋をしていた仲間家が使ったとされる泉です。
別名は「カンジャーガー」。
特に水が湧いている様子はないです。
この階段はここで切れていて、ここから石畳の斜面を上って行きます。
登ってすぐのこの場所は「三の郭」。 真ん中に人が写っているところが「二の郭」で、その奥にあるのが「一の郭」になっています。
ちなみに下の仲間ヌウカーなどがあった広場は「四の郭」になっています。
目の前のポツポツと並ぶ石は「トゥヌムトゥ」、神人(カミンチュ【女性祭司】)の腰掛け。
「肝高の御嶽」で行われるウマチー(祭祀)の時にカミンチュが腰掛ける石だそうです。
「肝高の御嶽」。
二月と三月には麦を、五月と六月には稲の初穂と豊作を願ってここでお祈りをします。
説明書きに「以前はカミンチュの前で若者が”魚を買って下さい”と呼びかけて回った」とありますが、それが祭の行事なのか、それともお金を持っていそうな(?)カミンチュ相手に売りつけようとしていたのかは解らないので調べてみます。
ここも階段が途中で切れています。 年配の方にはちょっとキツイと思います。
「一の郭」に上がる最後の階段。
敵が攻めてきても少人数で応戦ができるよう工夫されており、上に行くにつれて階段の幅が徐々に狭くなっています。
一の郭です。
ここには勝連城を守護する霊石を御神体とする「玉ノミウヂ御嶽」があり、発掘調査では宝物殿があったことが判明しています。
グスク時代には建物の基礎のために霊石を平らに加工して利用していたみたいです。 かなり罰当たりです。
ちなみに文化庁の国指定文化財等データベースではここの御嶽の名称は「王・ノミヂ獄」、城主の名前は阿蘇和利(!)と説明があります。 どっちが当たっているのかは解りません。
次のバス停は…
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