琉球大学の敷地内にある「琉大北口」のバス停留所です。
こちらは中城村の護佐丸バスの伊集回り線、久場回り線、久場琉大線が停まります。 掲載している情報は公開日時点のものなので、バスなどをご利用される際は関係各所に確認してください。
バス停留所は琉球大学の宜野湾口の駐車場内(地図)にあります。
こちらの住所は西原町千原。 北口から敷地外に出ると宜野湾市志真志になります。
護佐丸バス(中城村ホームページ)
千原(せんばる)
はじめ西原村、1979年からは西原町の字。 方言でもセンバルという。 もとは西原村棚原の一部。
1733年、棚原山地に王府の茶園が開かれたが、その地が千原と考えられる。 当時は杣山番人が配置され、管理していた。
1932年(一説では33年)、棚原から行政字として独立したが、地積は未分離のままだった。
『角川日本地名大辞典』より抜粋。
茶園が作られた経緯が球陽に載っているそうです。
始めて茶園を棚原山地に闢く
琉球には、以前から茶樹はあったが、その製茶の方法は、よく知られていなかった。 ただ粗茶を出すだけだった。
首里の向秀実(知名築登之親雲上朝宜)が、1731年に進貢使に同伴して、中国の福州に入り、茶葉を製造する方法を習い、製茶の器物も一緒に持ち帰ってきた。
試しに清明、武夷、松羅などの種類の茶葉を製造してみると、香りがとても良く、味も甘美で、中国のお茶とあまり変わりがなかった。 この年(1733年)になって、茶樹を棚原の地に栽植し、国用に供することにした。
『琉球大学千原キャンパスにおける森と人々の暮らしに関するフィールド調査』琉球大学芸術リポジトリより
千原寮。
千原寮の概要
千原寮は、千原キャンパスの宜野湾口(北口)近くにあり、鉄筋コンクリート5階又は7階建ての10棟及び共用棟1棟からなる建物です。
居室の設備等の違いにより「一般棟」、「混住型棟」、「新混住型棟」及び「新棟」に分かれ、さらに一般棟の「南星棟」、「北辰棟」及び「紫陽花棟」はA、B、Cの3ブロックに、「海邦棟」はA、Bの2ブロックに分かれています。
『琉球大学千原寮 生活のしおり』より
全部の部屋が埋まったら一千人超の学生が暮らす学生寮。 ちなみに異性と談話をするには、共用棟の多目的ホールを利用してください。
「中部商業高校前」もお願いします。
返信削除コメントありがとうございます。
削除すぐには出来ませんが、早く掲載できるよう頑張ります。 少しお待ちください。
どう致しまして。
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