糸満市米須にある「沖縄菩提樹苑前」のバス停留所です。
こちらは糸満市のコミュニティバス「いとちゃんMini」のバス停留所です。 予約しないと来ませんので、ご利用する方はお気をつけてください。
糸満市米須にある「沖縄菩提樹苑前」のバス停留所(地図)です。
こちらのバス停留所は糸満市のコミュニティバス「いとちゃんmini」専用となっております。 完全予約制なのでご利用の際はお気を付けください。
運行時間は朝7時から夜の19時までで、受付締め切り時間などもあるのでご確認ください。
さあ、お出かけしましょ!~いとちゃんmini~(糸満市ホームページ)
バス停留所の近くにある「魂魄(こんぱく)の塔」。
戦後に最も早く建立された慰霊塔です。
魂魄之塔
糸満市米須集落の南方300m、海岸寄りにある。 ここは沖縄戦最後の激戦地であり、日本軍も住民も米軍に追い詰められて逃げ場を失い、陸海空からの激しい攻撃を受け命を落とした人は数多い。 敗戦直後、米須地区に移転収容された旧真和志村(現在の那覇市)の住民が米軍の許可を得て遺骨収集班を結成、道路や畑、丘、森に散っていた遺骨を集め魂魄の塔を建立した。 合祀柱数3万5000は沖縄では最大の慰霊塔にあたるが、昭和54年2月摩文仁が丘に完成した国立沖縄戦没者墓苑にその大部分は転骨された。
なお、塔は終戦直後の石積みで素手造りであり崩れる恐れがあったため、平成元年補修され、あわせて碑文の刻板が設置された。塔の裏側には
にぎたまと なりてしづもる おくつきの み床の上を わたる潮風
と刻まれている。
県営平和記念公園ホームページより
近くにある金城和信氏の胸像。
金城和信(わしん)
教育者、社会奉仕活動家。 真和志間切(現那覇市寄宮)に生まれる。 戦没学徒・学童、戦争未亡人、遺家族などの処遇問題、戦没者慰霊碑建立などに尽力した。 沖縄戦時には大里第二国民学校の校長であった。 戦後、摩文仁に設けられた真和志村の村長に任命され、就任と同時に、山野に野ざらしにされた遺骨収集を始め、<ひめゆりの塔><健児之塔><魂魄の塔>などを建立した。
沖縄大百科事典・沖縄タイムス社より
氏の娘さん二人は、ひめゆり学徒隊に動員されて亡くなっています。
魂魄の塔から少し離れたところに建つ「沖縄菩提樹苑」です。
ダライ・ラマ14世に縁のある菩提樹苑
第二次世界大戦でなくなったすべての戦没者の慰霊のため、ブッダ(釈迦)がその下で悟りを開いたといわれている「ブッダゆかりの聖なる菩提樹」の分け樹がインド国外にはじめて贈呈され、2004年に植樹された。 2009年にはダライ・ラマ14世も来訪、記念植樹が行われた。
糸満市ホームページより
菩提樹とは
今から約2500年前、インドに生まれたゴータマ・シッダールタというシャカ族の王子が35歳のとき、ブッダガヤという地でこの世の真実に目覚めました(悟り)。 これが仏教の開祖として知られるお釈迦様で、インドの言葉で「ブッダ」(仏陀・目覚めた人)と呼ばれました。
さてこの「悟り」のその時、お釈迦様の頭上を覆っていたピッパラと呼ばれる木が、この出来事にちなんで「菩提樹」と名付けられました。(「菩提」とは悟った者が得る智慧を意味する言葉です。)
この菩提樹の子孫として伝承される樹が、仏教にゆかりの深い地で今も大切に護られています。 沖縄菩提樹苑に植樹されている菩提樹は、仏教聖地の一つインド・サルナートの樹から分木された「釈尊ゆかりの菩提樹」です。
沖縄菩提樹協会パンフレットより
サルナートはお釈迦様が初めて説法を行った、別名「鹿野苑(ろくやおん)」と呼ばれる聖地です。 手塚治虫氏の「ブッダ」では、集まった鹿に説法していました。
ダライ・ラマ14世が植樹したフクギ。
2024年もよろしくお願いします。
返信削除コメントありがとうございます。
削除もう少し更新のペースを上げていきますので、今年もよろしくお願いします。
どう致しまして。
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