那覇市久茂地にある「琉銀本店前」のバス停留所です。
こちらは、首里牧志線(1番)、識名開南線(2番)、識名牧志線(5番)、小禄石嶺線(9番)、牧志開南循環線(14番)、寒川線(15番)、与根線(45番)が停まります。 ご利用の際は変更等があるのでバス会社に確認してください。
那覇市久茂地の県道42号線沿いにバス停留所(地図)はあります。
こちらは片側バス停留所なので、反対側の道路にはバス停留所はありません。 58号線向けのバスしか来ませんので、ご利用の際は気を付けてください。
「琉球銀行前」ですが、今年5月から始まった建て替え工事で更地になっており、銀行の建物はありません。 仮の本店所在地は那覇市東町になっており、ここには2025年に地上13階・地下1階の新ビルが竣工予定です。
本店ビルの着工について(琉球銀行ホームページ)
建物がないので、奥の沖縄テレビ放送のビルまで見えます。
琉球銀行
沖縄県の中枢的な信託併営普通銀行。 激動に満ちた沖縄戦後史のなかで〈中央銀行〉的な機能を担ってきたユニークな歴史をもつ。 米国の沖縄保有決定を背景に、通貨金融政策を担当する統治機関の一つとして、琉球政府創立に先立つこと3年、1948年5月米国軍政府布令第1号「琉球銀行の設立」に基づいて設立された。 ~略~
米国の連邦準備銀行およびフィリピンの中央銀行をモデルに設立され、初期の性格は中央銀行的色彩がきわめて強い。 軍政府資金の預託機能や一般銀行業務に加え、通貨発行権、金融機関の監督統制、メンバー銀行にたいする援助、不動産債権の発行など特別な権限が付与されていた。 しかし、これらのなかには、琉球政府の設立など行政機関の整備にともなってそこに委譲され、発動されることなく終わったものも多い。 ~略~
(沖縄大百科事典 沖縄タイムス社より)
ちなみに沖縄ではじめて週休二日制を実施したのが琉球銀行です。
1962年11月9日に琉銀本店が建っている広場に特設リングが設けられ、力道山やアントニオ猪木のプロレスが行われました。 アントニオ猪木が猪木寛至からリングネームを改名して初めてリングに上がった場所です。
アントニオ猪木(Wikipediaより)
沖縄テレビ放送は那覇市松山町(那覇市久米)から1983年に移転しました。 1976年に沖縄電力に吸収合併された沖縄配電が当地にはありました。
沖縄配電
渡嘉敷真睦(元沖縄群島政府工務部長)と國場幸太郎(國場組社長)によって1953年に設立された。当初は那覇地域を供給区域とし、その後糸満地域に範囲を広げ、1965年には東部配電を吸収合併した。1976年に沖縄電力と合併。
(Wikipediaより)
こちらからは昔に撮影したものを載せています。
右に見えているのが琉球銀行本店。
次のバス停留所は…
久米 (KUME)
商業高校前
旭橋駅前
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