那覇市垣花にある「公園前」のバス停留所です。
この道路の手前が垣花町、反対側にあるバス停留所の住所は奥武山町になります。
那覇空港と那覇バスターミナルの間を通る、国道331号線沿いにバス停留所(地図)はあります。
奥武山町側のバス停留所。
こちらは那覇空港向けになります。
バス停留所のすぐ傍には、沖縄セルラースタジアム那覇と沖縄県立武道館が建っています。
ホームページに「沖縄唯一のプロ野球ナイター公式戦の開催可能な本格的な野球場」と紹介されている沖縄セルラースタジアム那覇。 正式な名称「那覇市営奥武山野球場」は2010年に改築し、施設命名権を獲得した沖縄セルラーの名前がつきました。
センター距離122m、両翼100mとなっており、東京ドームと一緒です。 スタンドの収容人数は15,000人(固定席)となっています。
沖縄セルラースタジアム那覇(那覇市体育協会)
沖縄県那覇市奥武山町42番地1 沖縄セルラースタジアム内
TEL 098-857-0889/FAX 098-857-0895
那覇市営奥武山野球場(Wikipedia)
藤波辰爾が自らの髪の毛をハサミで切った飛龍革命のあった場所として、一部のマニアの方には有名な奥武山体育館の跡地に建っているのが県立武道館。
錬成道場は1995年に、アリーナは1997年に完成しています。
沖縄県立武道館(Wikipedia)
予約・問い合わせ
奥武山公園運営管理事務所(県立武道館内)
TEL : 098-858-2700
奥武山公園 沖縄県立武道館 (公式サイト)
奥武山公園の向かいにあるのが那覇軍港。
写真中央に写っているのが御物グスク(風月楼)だったところ
「那覇市歴史博物館 提供」
明治時代の写真。
ここはNAHAマラソンのスタート地点。 国道58号線の起点でもあります。
明治時代に建てられた明治橋。
同じように大阪府には大正時代に建てられた大正橋がありますが、大正区の名称はそこから付けられたそうです。
明治橋の由来
国場川は、沖縄本島南部(島尻)を西に流れて東シナ海(那覇港)に注ぐ県内随一の河川である。 琉球王国時代この川を横断して国都首里を南部を結んだのは真玉橋であった。
その時、建てられた「真玉湊碑文」によれば、その年首里から南部一帯に至る道が敷設され、橋が架けられた。 その目的は、一般の交通に供することと外敵侵入の際に首里および周囲の軍勢が、那覇港南岸の垣花に集結できる態勢をつくるためであった。
那覇は、王国時代に商業都市として隆盛したが、1879年廃藩置県により政治の中心が首里から移り県都となった。 そのため那覇にも南部を結ぶ新たな橋が必要となった。
それまで那覇と対岸の垣花を結ぶ交通は、もっぱら舟に頼っていた。 那覇側は渡地(わたんじ)と呼ばれていたが、その渡地と垣花を結ぶ橋が初めて架けられたのは1883年のことで、年号にちなみ「明治橋」と命名された。
この橋は木製で、御物城(交易品を納めた倉)より海寄りに架けられた。 渡橋賃は一人三厘・人力車六厘・駕籠一銭で、島尻の十四間切が架橋、運営した。
1902年、橋の位置を御物城の手前、奥武山寄りに移し、南北二橋に架けかえ、「北明治橋(長さ60間)」「南明治橋(長さ50間)」と呼んだ。
幾度かの改修を経て、本格的な掛替が1940年に始まり、1941年に北明治橋が、翌年に南明治橋が完成した。 北明治橋の位置は現在の橋とほぼ同じ位置であった。
しかし、この橋は1945年の沖縄戦中に日本軍の手により戦術爆破されたとされる。
戦後、米軍により橋は復旧されたが、南明治橋はその後の埋立で姿を消した。~ 略 ~
石碑より
次のバス停留所は…
(画像をクリックすると移動します)
那覇バスターミナル (NAHA Bus Terminal)
旭橋・那覇バスターミナル
旭橋駅前
軍桟橋「県道7号線」
軍桟橋前 331号線沿い (GUNSANBASHI MAE R331)
次も更新してください。
返信削除このバス停は時々、83番も停まります。
コメントありがとうございます。
返信削除便数が多かったり、変則的な停まり方をするところは、混乱を招きそうなので記載を省きました。(手を抜いているという事もある)
ご指摘して頂き、ありがとうございます。
どう致しまして。
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