うるま市昆布にある昆布公園(地図)です。
ここには、うるま市公共施設間連絡バスが停まります。
昆布公園の駐車場入口にバス停留所はあります。
地名の「昆布」ですが、沖縄では採れない昆布が地名になっているのは「窪地」からの由来だそうです。
「窪地」が「昆布」と呼ばれるようになったのは、「窪地(くぼち)」→「くぶんじ」→「くぶん」→「くぶ」→「くーぶ」のように変化し、それが天願から1918年に分離独立した時の喜びと嘉利(かりー)なものである昆布(くーぶ)と重ねて「昆布」と命名表記され、全国的にも珍しい地名の誕生となったのである。広報うるま2005 12月号 うるま市地名散歩② 名嘉山兼宏 一部西暦等に変更してます
こんぶの名前の由来日本の味としてすっかり食生活に定着している昆布ですが、その歴史はあまりに古く、確かな記録は残っていません。縄文時代の末期、中国の江南地方から船上生活をしながら日本にやって来た人々が、昆布を食用としたり、大陸との交易や支配者への献上品としていたのではないかと言われています。昆布という名の由来は、はっきりしませんが、アイヌ人がコンプと呼び、これが中国に入って、再び外来語として日本に逆輸入されたと言われています。こんぶが旅した”こんぶロード鎌倉中期以降になると、昆布の交易船が北海道の松前と本州の間を、盛んに行き交うようになりました。昆布が庶民の口に入るようになったのは、そのころからです。海上交通がさかんになった江戸時代には、北前船を使い、下関から瀬戸内海を通る西廻り航路で、直接、商業の中心地である「天下の台所」大阪まで運ばれるようになりました。昆布を運んだ航路の総称を「こんぶロード」と言います。こんぶロードは江戸、九州、琉球王国(沖縄県)、清(中国)へとのびていきました。特に、琉球王国は薩摩藩(鹿児島県)と清とのこんぶ貿易の中継地として、重要な役割を果たしました。日本昆布協会ホームページよりコピーしました
昆布の協会があるのも初めて知りました。
この先を行くと具志川ゴルフクラブの前を通り、県道255号線へと抜けていきます。
逆光で分かりにくいですが、写っているのはうるま記念病院。
こちらは昆布公民館です。
左手に見えているのは、ぐしかわ看護専門学校です。
次のバス停留所は…
天願公民館前 (TENGAN KOMINKAN-MAE)
山城公民館前 (YAMASHIRO KOUMINKAN MAE)
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