2014年2月13日木曜日

繁多川 (HANTAGAWA)

Hantagawa Busstop

 那覇市の高台にある繁多川(地図)です。 ここには、識名宮や地名の由来になった繁多川が在ります。

 ここは、識名牧志線(5番)、牧志開南循環線(14番)が通過します。(変更・誤表記等があるのでバス会社に確認して下さい)


Sikinagu

 バス停留所を降りてすぐに琉球八社の一つである識名宮が在ります。



Hantagawa 1

Hantagawa 2

Sikinagu 1

 こちらが識名宮の入口。琉球八社の一つです。

 識名宮のホームページに詳しい説明が掲載されています。 (識名宮H・P)<リンク切れ

 この奥に社(やしろ)があったと思いますが、途中で仕切られて行けなくなっていました。

追記
 別の日に行ったら、仕切りは無かったです。 あと、裏手に駐車場がありました。



Shikinagu 2

 やっと行けました(笑)、識名宮です。



Shikinagu 3

 僕が幼いときには、ここで開催された盆踊り大会に来たことがあります。

 そのときは、ただの広場だった気がします。 すいません、記憶がかなり曖昧です。



Shikinagu 4

 こちらでは、熊野三神(イザナミ、ハヤタマノオ、コトサカノオ)と識名女神が祀られています。



Sikinagu Cave

  舎殿の後ろに、姑射山権現(こしゃざんごんげん)があります。

  宮の縁起は、洞窟から空に光射す零石があり、大阿母志良礼(高級女神)が祈ると霊験があった。 尚元王の子・尚康伯(享年19歳)は重症だったが、祈ると治ったので、この場所に識名宮と神応寺を創建したそうです。 社号は琉球神道記(1608年)には「尸棄那権現」、琉球国由来記(1713年)には「姑射山権現」と記されています。 尚、前者には「亦明ナラズ。熊野神ト見ヘタリ。石窟惟霊地也」、と祭神の事が記されています。さらに、近世沖縄における熊野三山、いわゆる権現信仰としては、末吉宮は熊野新宮に、普天満宮は熊野那智(飛龍)に識名宮は熊野本宮に見立てて信仰されていました。



Hantagawa 3

 首里の石畳に抜けていく道ですが、もとは真珠道(まだまみち)といって、約500年前の尚真王の時代に首里から国場川・那覇港まで石畳で造られた街道でした。



Ufukar

 上の真珠道の写真を撮った場所のすぐ左手に大川(ウフカー)があります。



Boujigar

 識名宮や神応寺が近くにあったので、その名がついた坊主川(ボージガー)。

 「乳のような美味しい泉・善い泉」を意味する、御穀泉(オコクガー)とも呼ばれるくらい美味しく、「繁多川豆腐」を作る際に大いに利用されたとあります。

 僕はさすがに飲むのは躊躇いました。



Stone wall

 坊主川の隣にあるこの石垣は戦前から残る石垣で、ここは神村酒造所の跡地だったそうです。



Hantagawa 4

Meemiti

 さきほどの真珠道の写真の場所からここまでを前道(メーミチ)と呼ぶそうです。

 右手に見えるのは繁多川(ハンタガー)。



Kushimiti

 こちらは後道(クシミチー)。メーミチの写真を撮った場所から左に向くとあります。

 識名坂を上がり切った所で分岐し、メーミチは国場川方面、クシミチーは識名園方面に向かう道でした。



Hantagar

 こちらが地名の由来になった繁多川(ハンタガー)。

 端(ハンタ)の井泉を意味する「ハンタガー」が当て字で繁多川になったそうです。

 首里に抜ける際、何気にこの道を利用しますが、ここに(他も)全く気付きませんでした。




 この下り坂は識名坂(シキナンダビラ)。

 下っていくと首里金城町の石畳に行きます。ここは幽霊の話でも有名です。

 
次のバス停は…
(画像をクリックすると移動します)

石田中学校前 (ISHIDA CHUGAKKOU MAE)
Ishida Junior high school before

識名園前 (SHIKINAEN MAE)
Shikinaen Royal Garden before

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琉大北口 (RYUDAI-KITAGUCHI)

   琉球大学の敷地内にある「琉大北口」のバス停留所です。  こちらは中城村の護佐丸バスの伊集回り線、久場回り線、久場琉大線が停まります。 掲載している情報は公開日時点のものなので、バスなどをご利用される際は関係各所に確認してください。