2024年9月16日月曜日

嘉数 (KAKAZU)

"KAKAZU" Bus stop

 豊見城市嘉数のバス停留所です。

 こちらは豊見城市内一周バス(105番)が停まります。 掲載されている情報が変更などで異なる場合がありますので、ご利用の際は運営しているバス会社のホームページを確認してください。


KAKAZU 1

KAKAZU 2

 豊見城市の市道39号線沿いにバス停留所(地図)はあります。


 嘉数は、豊見城市の北東部に位置しており、西を真玉橋と根差部、北は国場川をへだてて那覇市国場と仲井間、南を饒波、東を長堂と接している。
 嘉数は方言では「カカジ」という。 嘉数集落の成立した時期などについては、それを伝えたり窺わせたりするような記録がないため不明である。 しかし『琉球国由来記』には「嘉数村」が記載され、拝所や年中祭祀の記述もあることから、同書の成立時期である1713年には集落の存在が確認できる。
『豊見城市史 第二巻 民俗編』より抜粋

 宜野湾市「嘉数」も糸満市「賀数」も方言名は同じ「カカジ」ですが、地名の由来は調べられませんでした。



KAKAZU 3

KAKAZU 4

 当地は高台にあるにもかかわらず水が豊富だったので農業が盛んだったとのこと。 ゴボウが有名だったと、記事を見たことがあります(曖昧でスミマセン)。



KAKAZU 5

KAKAZU 6

KAKAZU 7

 右手の奥に見える木々が生い茂っている場所が長嶺グスク。

 その左手側に廃村となった長嶺村がありましたが、廃村になった理由は不明です。



KAKAZU 8

KAKAZU 9

 長嶺グスクの入口(地図)。

 自動車を駐車することは出来ますが、道路の幅も狭いのでお勧めはしません。


長嶺グスク(長嶺城跡)
 長嶺グスクは、字嘉数と字長堂の境に位置し、標高98mの丘陵上に形成されたグスクである。
 『豊見城村史(1964年刊)』によれば、長嶺按司の居城として南山の第一線として備えたとあり、グスクの頂上部付近を「ウフヤックヮ(物見)」、その東側がデーグスクと称され、グスクの台所があったところだと伝えられている。 そのほか、グスク内には『琉球国由来記』に記載された「長嶺之殿」や「按司墓」などがある。
 グスクの石積みはこれまで確認されていないが、伝承として真玉橋の石橋に使用されたという話が残されている。
 グスク一帯からは、グスク系土器、鉄製の矢じり、中国製の青磁、白磁等が出土している。 また、沖縄では産出されない滑石(かっせき)を混入した土器が出土していることから、九州との交流が直接、間接的に存在していた可能性がうかがえる。
 仲間按司との紛争では、長嶺グスク城下での戦いに敗れ、馬で敗走した長嶺按司がグスク内の井戸に馬もろとも身を投げ自害したように見せかけ、その後落ち延びたとの伝説が残されており、南風原津嘉山では長嶺按司の霊を慰めるため長嶺グスクを遥拝するアミシの御願の由来ともなっている。
 長嶺グスクの成立および活動時期は14~15世紀に位置づけられるものと推測される。
 長嶺グスクに関連する伝承としては他にも、尚金福王(1450~53年)の時代に長嶺按司陵正(りょうせい)という人が、中国に渡って砂糖製造法を習い受け、琉球に帰国後あまねく周辺に製糖を教え広めた、との砂糖製造の始まりに関する伝承が残されている。
入口にあった案内板より

 


KAKAZU 10

 ハブに注意してください。 絶対に居ます。



KAKAZU 11

 長嶺グスクの奥にある按司墓です。

 沖縄戦当時に日本軍の高射砲陣地が築かれたため、ここは米軍の攻撃目標となって墓は破壊されました。 戦後にこちらは再建されました。


長嶺グスクの按司墓
 長嶺按司陵正という人は、尚金福王代のとき中国で砂糖製造法を習い、製造して日本国に売って儲けた。 これが王府に知れて、八重山に島流しされたという。
 別の長嶺按司は、南風原津嘉山の仲間大主の娘を奪おうと戦いになった。 長嶺按司は敗れ、長嶺の住民は方々に散った。
『沖縄拝所廻り300』 著・比嘉朝進より抜粋

 先に載せた案内板の内容とちょっと違うなと気づかれた方もいるはず。

 長嶺按司が馬もろとも身を投げ自害したように見せかけた井戸、チンガー(クガニガー、カリウカーともいう)は残念ながら探せませんでした。 『豊見城市史』で井戸には黄金の鞍(くら)を落として自殺に見せかけたと違う説明がありました。



KAKAZU 12


次のバス停留所は…


嘉数ヶ丘


嘉数公民館前 (KAKAZU KOUMINKAN-MAE)
KAKAZU KOUMINKAN-MAE

3 件のコメント:

  1. 「嘉数ヶ丘」もお願いします。

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    1. コメントありがとうございます。
      当方の変なこだわりで、次のバス停とは連続で掲載しないようにしています(バス停リンクの意味がなくなる気がして…)。 なので、早めに他のバス停を載せれるよう頑張りますので、もうしばらくお待ちください。

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  2. どう致しまして。

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砂辺食品前 (SUNABE SYOKUHIN MAE)

 北谷町宮城にある「砂辺食品前」のバス停留所です。  こちらは北谷町のコミュニティバス「C‐BUS」の停留所となっておりますので、ご利用の際はホームページにて情報をご確認ください。