沖縄市上地二丁目にあった沖縄文化センター(地図)です。
こちらは残念ながら廃止になりました。
国道330号線から文化センター通りに入るとありました。(過去形)
その文化センターは上の写真中央に写る赤い建物です。 その手前は中之町交番。
この先は国道へ。
沖縄市エイサーキャラクターのモニュメント。 富山県の竹中銅器さんが制作。
左のチョンダラーが「さなじぃ」、締太鼓を持っているのが「たーくん」。
ちなみに「さなじぃ」の誕生日は「ウークイ」という設定があります。
大太鼓が「エイ坊」、右の女性が「サーちゃん」。
エイ坊の誕生日が6月13日だったので気になって調べてみたら、沖縄市が2007年に「エイサーのまち宣言」をした日でした。
ついでにサーちゃん&たーくんの誕生日は、サーちゃんは8月13日で、たーくんは12月20日でした。 サーちゃんはたぶんウンケーの日だと思いますが、たーくんの日付を調べたら1970年12月20日の「コザ暴動」が出てきます。 まさかコレじゃないとは思うが…。
古典音楽湛水流の創始者である湛水親方こと幸地賢忠の顕彰碑です。
古典音楽湛水流の創始者。 童名は思次郎(うみじらー)、唐名は夏徳庸、名乗りは賢忠。 湛水はその号。 夏居数(かきょすう)越来親方 賢雄【鬼大城】の7世。 父は夏筆基幸地親方 賢盈(けんえい)。 1653年、具志川間切総地頭職に任ぜられ、平等之側(ひらのそば)・鎖之側(さすのそば)・御振舞奉行などを経て、72年、踊奉行に就任にしたが、その翌年禁を犯して妓女を妾にしたことが、家族の訴えで明らかとなり、領地・知行を召し上げられ、具志川間切田場村に蟄居(ちっきょ)を命ぜられた。 76年、恩赦をうけて王都にかえり、剃髪して茶道宗職に復し、83年には久米仲里間切総地頭職を授けられた。 作田(ちくてん)節・早作田(はいちくてん)節・首里節・ぢやんな節・諸鈍(しょどん)節・揚作田節・暁(あかつき)節などを作曲したといわれている。
鬼大城の子孫で首里王府のエリートが、妾を囲ったことを王府に家族が告発して蟄居させられるって、親方自身もドラマチックな生き方をしているんだなぁ。
これからも更新してください。
返信削除愛機のPCと自分が壊れていました。更新が大幅に空いて申し訳ございません。
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