
こちらは与那原町与那原にある大見武集落センター(地図)です。
この実証実験中の町内バスを利用できるのは、自分で乗り降りが可能な(1)65歳以上の方、(2)65歳未満で障碍者手帳を持っている方です。

追記:現在、コロナ禍で運休しております。
町内バスを利用するには、事前に下記の場所で乗車券発行申請を行って下さい。申請受付/福祉課 9時~17時、ふれあいサロン(中島区) 10時~15時
※ふれあいサロンは申請書預かりで乗車券は後日送付になります。(土日、祝祭日及び、12時~13時の間は除きます)実証実験中のため、料金は無料で利用できます(実証実験期間は令和3年3月まで)町内バスの運行は(1)運行時間帯 午前8時45分~午後5時(2)運行日 月~金 ただし、土日及び祝日、慰霊の日、12 月 29 日~1 月 3 日、暴風警報発令時等は 運休します(お問い合わせ:福祉課 945-1525)
与那原町町内バス実証実験のお知らせよりコピペしました。


大見武集落センターの敷地内には石獅子があります。
集落センターは戦前砂糖小屋であったが、八月十五夜には、そこのシーサーの前に御馳走を供えて拝み、部落民総出で棒術や踊りをして村の繁盛を祈願した。現在は、酒、果物だけで簡単に済ませている。与那原町の文化財/大見武の石獅子 与那原町立綱曳資料館HPより
隣にあるジャングルジムから児童がジャンプして足蹴にされそうな、不自然な場所に鎮座しております。 現在は御馳走も供えてもらえなくて少し可哀そうです。
本島南部のシーサーたちが睨みを利かせる八重瀬岳には向いてはいませんでした。


大見武出身に沖識名さんがいます。 力道山のプロレスの師匠であり、彼の必殺技である空手チョップを授けた人です。 その後は日本プロレスのレフリーとしても活躍しました。
沖識名さんは大見武で生まれ、五歳でハワイのマウイ島に移住しました。
与那原町史には彼の親戚からの聞いたエピソードが載っていました。
えびす通りに大城梅干し店がある。 そこのおじいさんは大のプロレス好きであった。 えびす通りは経済的なこともあって、与那原では早々とテレビが普及した地域であった。 当時金曜日の夜8時がプロレスの時間帯であった。 このお爺さんは、私の父より先輩であった。ブラッシーが活躍していた頃である。 レフリーは沖識名。 日本人プロレスラーが外人プロレスラーを押さえ込んだとき、ワン、ツーまではパッパとマットを叩いて、スリーを中途で止めることがしばしばあった。 プロレスのあった翌日は、必ずというほどこのお爺さんが私の家に現れた。「おい、サンルー(話し手のお父さんの沖縄名)、沖識名に電話をして、もう少し早くカウントを取りなさいと言いなさい」と。 沖識名の沖縄名もサンルーだったらしく。「サンルー、この野郎は」などと父もぼやいていた。 ある時、沖識名が与那原に来た時、父が「もっと早く」と言ったら、沖識名が「いろいろあってね」と言ったので、そういうことか(演出上のことか)と知った。
(与那原町史 資料編1移民より 少し修正してます)


新井(御拝領井)。 造られた年代は不明ですが、重要な拝所とのことです。
与那原町の文化財/新井(大見武) 与那原町立綱曳資料館HP






那覇市上間から西原町小那覇まで続く、国道329号線与那原・南風原バイパスの工事現場の横にて「拝所入口」の看板を発見。
結構、急な坂なので覚悟を決めて上ることにした。(徒歩とは言っていない)




僕はスクーターにて上って来ましたが、ここでUターンするのは怖かった。
大きいバイクやクルマはバックで戻る羽目になので、上ってくるなら覚悟してください。



たぶん御門口(ウジョーグチ)。
バイパス工事で移動したと思われます。

次のバス停は…
大見武区三班掲示板 (OMITAKEKU SANPAN KEIJIBAN)


0 件のコメント:
コメントを投稿